(大紀元)

高智晟著『神とともに戦う』(31) 孤独な者の孤独な夜⑤

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袁紅冰教授の文章には私も深い感銘を受けた。実はその2日ほど前、妻さえも「なぜあなたは国内でこれほどの名声があるのに、大企業から顧問弁護士の依頼が来ないの」と尋ねてきた。そこで私は昨日、この袁教授の文章を厳かに妻へ手渡した。この文章は、そのような現実の問題に解答を与えてくれるからだ。

全ての正常な価値観が逆転してしまった社会では、逆転した価値のものでなければ受け入れられない。誠実で専門知識と技術を備えているという理由で、人々が弁護士を信頼することはないのだ。

なりふりかまわず、野良犬が餌をあさるようにして得た警察・検察・裁判所とのコネがどれだけあるか。それこそが弁護士としての価値の全てなのである。死んでもそのようなコネには頼りたくない一人の弁護士にとって、こんな環境の中で歩むことがいかに困難なことかは想像に難くないだろう。私の周りの同僚すら、常々ため息を漏らすのだ。

恥ずかしいことだが、私はいまだに、まともなオフィスを借りられないでいる。理想の事務所を購入することは私の長年の願いではあるけれど、それは夢のまた夢だ。一方、私の身の回りで起こる奇怪的な現象に、私は嘆かずにはいられない。

警察・検察・裁判所の一部の退職者は、弁護士資格すら持っていないのにもかかわらず、退職後1年以内に1千万元(日本円で約1億4千万円)にも上るオフィスビルを手に入れる。しかも、こんなことはざらなのだ。私がたまたま出会ったある弁護士の父親は省の高等裁判所の責任者だった。

その弁護士は1年のうち1度も裁判に出なかったのに、その年の収入は800万元もあった。彼は毎週決まって、ゴルフやエステ、スポーツジムに通い、各所からの接待に呼ばれるという。彼の父親が勤める高等裁判所のあらゆる重要事件の代理弁護士はほぼ全て、彼を訪ねてきては関係の調整を頼むのだ。あの時彼に会った時も、私の知り合いの弁護士が彼に「情報費」との名目で10万元を渡していた。

こんな現状はとっくに承知していたが、その光景を目の当たりにするたびに、私は心が引き裂かれんばかりの不安に襲われる。このような弁護士を前にして、私のような弁護士は全く価値も力もないといえる。中国において、決してコネに屈しない弁護士がどれほど困難であるか、人は知る由もないであろう。

地方裁判所の一部の裁判官は、あからさまに私のような弁護士を敵視する。実際、貧しい人の起こした裁判は困難を極めることが少なくない。負けるはずもない裁判に負けた後、裁判官は公の場で私の依頼人にこう言い放った。「君が高智晟のような弁護士に依頼したから、君は負けたのだ」

このような言葉を聞いた時の私の心境がいかばかりか、理解できる人がいるだろうか。遼寧省の地方裁判所ではいずれも、この種のことが起こった。あれら多くの裁判官と私とは見ず知らずで、ましてや個人的な怨恨などあるはずもない。ただ私の名こそが、彼らが私を敵視する理由となったのである。

 (続く)

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