中国の墨の由来
古代中国で、まだ墨のなかった時代には、文字を書いたり絵を描いたりするのはとても不便でした。周の宣王の時代に邢夷という人がおり、絵を描くことに優れていました。ある日、彼は手が汚れてしまったので、近くの小川まで手を洗いに行きます。その時、傍に何か真っ黒なものが落ちているのを見つけ、拾い上げたところ、ただの松炭だったので捨てました。そして、ふと自分の手を見ると、思わずぷっと吹き出してしまいます。たった今洗ったばかりの手が洗う前よりも黒くなっていたのです。彼は、手を黒く染めた松炭をみて、これを使って文字や絵が描けるに違いないと思い、その炭を拾って家へ持ち帰りました。
家に帰った邢夷は、真っ先にこの炭を粉にして、水を加えてみましたが、どうしてもまとまりません。あれこれ考えてみましたが、どうにもいい方法が思いつきませんでした。食事の用意ができたと夫人にいくら呼ばれても出ていかなかったので、夫人がわざわざ彼の所へ食事を運んできました。その日の食事はもち米粥でした。彼はあれこれ考え半ばぼーっとしており、両手で松炭の粉をすくい、全部お粥の中に入れてしまいました。すると、お椀の中はたちまち真っ黒な半固形状の物に変わったのです。
それを見た邢夷は、大喜びでお椀の中のものをかき混ぜました。その時、彼は夫人の袖口の一部が真っ黒になっているのに気がつき、「なぜそこがそんなに黒いのか」と尋ねると、夫人は袖を見て「あら、これは今かまどで食事を作っているときについてしまった鍋のすすだわ」と言って、手ではたいて落とそうとしましたが、どうやってもその汚れはとれませんでした。それを見た邢夷はまた喜んで言いました。「今度はうまくいくはずだ。鍋のすすは拾ってきた松炭よりもさらに黒く細かい。これを使えば申し分なく字が書けるだろう」。