楚の荘王は、ある夜、臣下たちを宴に招きました。 (LIUSHENGFILM / PIXTA)

寛容は人心を掴む【伝統文化】

人は間違いを犯すものであり、皆欠点を持つものです。寛大な心で他人を許すのは一種の美徳であり、そうすれば、憎しみを溶かし、悪縁を解き、敵を友に変えることができるのです。

楚の荘王は、ある夜、臣下たちを宴に招きました。皆が心ゆくまで酒を飲み、多くの者が酔いつぶれました。宴もたけなわの頃、正殿のロウソクが風によって吹き消されます。するとその隙に、ある臣下が王妃の服を引っ張ったのです。

王妃はすぐさま、その者の纓(冠のヒモ)を引きちぎり、荘王にこう言います。「ロウソクが消えた隙に、私の服を引っ張った者がいます。私はその者の冠の房を引きちぎりました。ロウソクを灯しさえすれば、それが誰だかすぐわかります」。

すると、荘王は、「私と酒を飲むのに、冠をはずさないとは何事だ」と言って、皆に冠をはずさせたのです。荘王はそこでロウソクを灯し、先ほどと同じように、臣下たちと心ゆくまで酒を飲みました。

▶ 続きを読む
関連記事
宋の時代に、ある人が一つの宝石を手にいれます。彼はこれを斉の大夫・子罕(しかん)に献上しようとしましたが、子罕はこれを受け取りませんでした。「この玉は宝石の専門家に鑑定してもらった本物の宝石です。あなた様に献上したいのです」といいます。それに対して子罕は、「私は貪りを宝としません。あなたは宝石を宝としているので、もし宝石を私にくれたら、私たちは二人とも、自分の宝を失うことになります。それならやはり各自で宝を保管したほうがいいでしょう」と答え、宝石を受け取りませんでした。
東アジアの海の上という、おもしろい位置に日本がある。「おもしろい」と言ったのは、大国である中国の隣国の一つでありながら、海を隔てているせいか、その影響の受け方が地続きの国とはまた違った、独特の道をたどってきたからだ。
中国伝統文化において、中国人は礼を重んじてきました。その中でも、茶で客をもてなすことは礼のひとつとして重要な位置を占め、宋の時代にはかなり流行しました。
(前回の上書に続いて)同じ月のうちに、魏徴は再び文書をしたため太宗に申し上げた。 「臣、魏徴は、このような話を […]
神韻の公演をご覧になった方は、忘れることのできない優美な歌と踊りに加えて、華麗な衣装や小道具、リアルな空のシー […]