前回は、子どもの啓蒙教育に『三字経』『百家姓』『千字文』がよく使われることを紹介しました。子どもたちはまた、幼いころから漢字を勉強します。漢字と言えば、実は、中国だけでなく、周辺の国家にも大きな影響を与えているのです。
韓国やベトナムでは、漢字を全く使わない独自の言語を使うようになりましたが、近年、漢字の復興が提唱されるようになったのです。
韓国やベトナムに行ったことのある方は、多くの名勝地や歴史的遺跡では漢字がよく見られることに気づくでしょう。
ご存じのように、昔、韓国と朝鮮は同じ国でした。第二次世界大戦後の朝鮮戦争で南北に分かれたのです。朝鮮半島の文明は、ある中国の政治家・箕子(前1126年?—前1082年?)が開いたと言われています。箕子は帝辛(紂王)の叔父で、殷王朝が滅ぼされた後、その該博さに驚嘆した周王朝の武王は、朝鮮半島を分け与えました。箕子は殷の遺民を率いて朝鮮半島へ赴き、礼儀や農事・養蚕・機織の技術を広め、民を教化し箕子朝鮮を建国したといいます。
歴史上、朝鮮半島は長年中国と密接に繋がっており、朝鮮半島の君主は何度も使者を中国に派遣しました。これらの関係から、朝鮮半島では、2千年近くの間、漢字を公式文字として使用してきました。
李氏朝鮮の時代になると、訓民正音(ハングル)が使われるようになりました。しかし、当時は、中国文化に深く影響されていたため、ハングルは普及しませんでした。
1948年、韓国と朝鮮が正式に独立を宣言したその年から、朝鮮では、チョソングル(朝鮮語、ハングルと同じ)の使用が要求され、一方、韓国では漢字の使用が禁止され、1968年から正式に漢字が撤廃されたのです。
ベトナムも中国文化の影響を受け、今でも多くの孔子廟が残されています。秦の始皇帝の時から、漢字はベトナムに伝わり、1千年余りの時間の中で、ベトナムの貴族や王族階級のみが使用できる高貴な言語とされていました。
しかし、清王朝末期の頃、王朝が衰退し、ベトナムもフランスの植民地となり、漢字の使用も禁止されたのです。
韓国や朝鮮と同じように、ベトナムの史書や文献の多くは漢字で書かれています。
そのため、漢字の使用を断つということは、昔の文化や歴史とも切り離すということになるので、近年、韓国やベトナムでは、漢字使用の復興を呼びかけています。例えば、1972年には、韓国の中学校と高校では漢字教育が復活し、2005年には、全面的に漢字の使用禁止が解除されました。
かつて、漢字は韓国や朝鮮、ベトナム、日本、タイなどの国で使用され、アジア文化圏全体が「漢字文化圏」とも呼ばれていたことから、私たちは同じ文化圏で生活してきた仲間であり、兄弟でもあるのです。
(翻訳編集:華山律)
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