『易経』(えききょう)には「子どもは正しい教育を受けなければならない」(蒙以養正、聖功也)という一文があります。つまり、子どもの頃から正しい教育を受けさせ、正しい道へと導くことは、非常に大事な事です。
昔の中国では、啓蒙教育として最もよく使われている書物が三つあり、それぞれ『三字経』(さんじきょう)『百家姓』(ひゃっかせい)『千字文』(せんじもん)です。『千字文』は南北朝時代(439年-589年)に完成され、世界で最も長く使用された子どもの学習書とされています。
『千字文』は「天地玄黃(てんちげんこう)、宇宙洪荒(うちゅうこうこう)」から始まり、天地玄黃(てんちげんこう)の玄は黒を指し、「天は黒、地は黄」と、昔の人は、太陽が昇る前の夜空こそ、空の本来の色であると認識しています。
宇宙洪荒(うちゅうこうこう)について、洪水という解釈があります。東洋文化でも、西洋文化でも、人類の文明は大洪水の後から始まったと記録されており、東洋文化では禹の治水、西洋文化ではノアの箱舟があります。無限に広がる宇宙の中に星々が存在し、日月が交替して、それから生命が創造される。
だから、『千字文』は宇宙の成り立ちから説き、天文地理や歴史文化など天地の間にあるすべてのこと、つまり森羅万象を含んでおり、中国文化の百科全書と称えられています。
『太平広記』によると、梁の武帝は王羲之の書法を非常に気に入り、王子たちの教育用に中から重複しない1千文字を選び出しましたが、何の規則性もなくバラバラであるため、周興嗣(しゅうこうし)に文章になるよう編集してもらいます。周興嗣は、この千字を用いて四字一句の250句から成る韻文を一晩でつくりましたが、その苦心のために髪が真っ白になったと言われています。
こうして作られた『千字文』は、韻文の美しさはもちろん、文字の習いやすさから、中国はもとより、日本においても、早くから手習いの手本として珍重されました。
『千字文』は王羲之の書法と深いつながりを持っているため、歴代の書家はこの『千字文』を用いて書道の練習をしました。例えば、宋徽宗や趙孟頫、文徴明などの有名な書家たちは数々の作品を残しており、そのため、『千字文』は啓蒙教材だけでなく、書道の練習用の模本としても使われています。
唐の時代には、代表的な漢姓を、同じく四字一句の形式で作られた『百家姓』が世に広められました。単姓444・複姓60の合計504の姓を載せています。根源を捜し求め、祖先を祭ることは中国人の伝統です。
唐と宋の時代から族譜の記載が盛んになり、輩行字(同じ宗族の世代ごとに、名に特定の漢字を使うこと)に基づいて新生児に名前を付けます。族譜にはその家族の歴史と系図が明白に記録されているため、国の歴史と地方の歴史と並んで、中国の三大歴史文献と称されています。
『三字経』は宋の時代から普及し、三字一句と韻を踏んでいます。中には中国の歴史や文化、人間関係が含まれているため、長い間、『百家姓』と『千字文』と並んで子どもの啓蒙教材として重用されてきました。
(翻訳編集:華山律)
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