「古い認識を改めるために」司馬遼太郎が見た中国、見えなかった中国
「中国」という通称で呼ばれる巨大な国が、昔も今も、日本のすぐ近くにある。
日本にとってこの事実は、これからの未来においても変えようがない。大切なのは、それとどう付き合うかということであるが、その過程においては、中国に対する私たちの認識を適宜改めていくことも求められるだろう。
多くの小説や評論により「国民作家」とも呼ばれた司馬遼太郎さんは大正12年(1923)8月7日の生まれなので、来年の夏には生誕100年を迎える。おそらく明年のはじめから、司馬さん関係の書籍が書店の特設コーナーに山積みされるだろう。
司馬さんは1996年2月に72歳で物故された。そのため、21世紀の今日の世界を見ることはなかった。そんな司馬さんが書いた子供向けエッセイ(それは小学校の国語教科書に載せるための書き下ろしだったが)に『二十一世紀に生きる君たちへ』という珠玉の作品がある。
関連記事
中国共産党による生体臓器収奪の告発は、なぜ信じられないのか。人は想像を超える悪に直面すると、事実よりもそれを否定する心理を選ぶ。善良さが認識を曇らせる構造を描く
米国は人間の判断を軸にAIと協働する一方、中国は技術窃取と自律化を進め機械依存を強化。倫理観と統治思想の差が戦争の形を左右す。
トランプ大統領の新大統領令を契機に、製薬業界と癒着した公衆衛生官僚機構によるワクチン政策の独占を打破し、民主的な監視や科学的な説明責任、個人の選択の自由を取り戻そうとする思想的な転換を論じる
米国は今、かつて経済が大混乱に陥った1960年代後半から1970年代初頭の状況と、怖いくらいによく似た危険な大インフレ期に突入しつつある
中国の債務はGDPの300%を超え、限界に達しつつある。だが、この経済減速は軍事的野心の縮小を意味しない。資源保有国であるカナダなどの西側諸国は、中国の台頭の盲信や中国崩壊という極端な見方を排し、戦略的備えが必要だ