フィレンツェ名門貴族 メディチ家の財宝(3)
他の骨董品と同様、貴石製容器も最初からメディチ家の所蔵品となっていました。コジモ・デ・メディチの息子ピエロ・イル・ゴットーゾは1465年にヴェネツィアから、丸ごと1個のカーネリアンから掘り出された貴重な花瓶を入手しました。ロレンツォ・デ・メディチが亡くなった1492年までに、この赤い花瓶の価格は600フローリン金貨にも及んでいました。
1494年にメディチ家がフィレンツェから追放された時、この貴重な花瓶は暫く失われ、その後、ローマ教皇クレメンス7世によって買い戻されました。花瓶に刻まれた金色のロレンツォの名前は、後にミケランジェロが聖ロレンツ教会のために設計した聖物講壇にも彫られています。
メディチ家は芸術家を支援しながらも、芸術家たちの才能を利用して、一族の名声を確立していました。
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