写真は、チチェン・イッツァの天文台です。(マノリ / PIXTA)

世界中のピラミッド(66)マヤのピラミッドの謎

ピラミッドの謎その2:マヤのピラミッド

ピラミッドはマヤの人々の偉大な傑作です。エジプトのピラミッドに負けず、マヤのピラミッドにも多くの謎と数値の偶然の一致が存在しています。

太陽のピラミッド

メキシコの古代都市テオティワカン(Teotihuacan)は神秘に包まれ、そのシンボルとも言われている太陽のピラミッドの位置でさえも精密に計算されていたのです。ピラミッドの南側の壁には通気口があり、そこから恒星シリウスの光線が、ピラミッド内の上部の部屋で眠る死者の頭部に直射し、また、北側の壁の通気口を通じて、北極星の光線が下部の部屋を直射します。

毎年の5月19日と7月25日の正午、太陽はピラミッドの真上に来て、そして、ピラミッドの西側の方面へ正確に沈んでいきます。

また、春分(3月20日前後)と秋分(9月22日前後)の日にも同じような現象が見られます。この2日間で、太陽の光は南から北へと移動します。西の地面にピラミッドの影がありますが、それが徐々に消滅していき、その消滅時間はちょうど66.6秒で、マヤの人々はこれを「永遠の時計」と呼んでいます。

ククルカンの神殿

チチェン・イッツァ遺跡内のククルカンの神殿は、4つの面の階段はそれぞれ91段、合計364段あり、最上階を合わせて365段となり、ちょうど1年間の日数です。また、模様が刻み込まれた石板が52個あり、52年で1周期するというマヤ暦に合っています。

ククルカンの神殿の北側の階段の両側には羽毛のある蛇の頭が彫刻されており、蛇の体は一見どこにも見当たりませんが、実は、春分と秋分の午後の太陽が西に沈むとき、蛇の体が現れ、まるで空を飛べる蛇が天から舞い降りてきたかのようです。マヤの人々は太陽神を崇拝しており、彼らはククルカンを太陽神の化身と見なしていました。

チチェン・イッツァの天文台の中心部には螺旋階段が設けられており、上部には天体観測のための天窓があります。この窓は重要な照準線になっており、西側は春分と秋分の日没と、月が最北端に沈むときの方向を確認することができます。そして、南側の対角線はちょうど地球の南極と北極を指しています。

(つづく)

――正見ネットより転載

(作者・意文/翻訳編集・天野秀)

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古代都市テオティワカンは、空中から見下ろすと、9つの惑星の並びと一致しており、位置の比例は驚くほど正確です。そのため、テオティワカンの設計者は惑星と太陽との距離や軌道上での運行状況を熟知していたことが分かります。
マヤ文明は紀元7世紀から8世紀に最盛期を迎えたが、9世紀には突如、姿を消した。古代都市コパンは800年頃に廃棄され、マヤ最大の都市と言われているティカルでさえも、869年に廃棄された。
マヤ文明の多くの謎が未だ解明されていません。例えば、マヤ文明は石器時代に属していますが、銅器もなければ鉄器も発見されておらず、獣の骨と木鋤の活用のみでした。しかし、高度な文明を持っていたのです。
ある学者は、マヤ人にはモンゴル人の血統と黄色人種の血統があるといいます。大昔、モンゴル人は寒冷な気候によって大移動し、シベリアからベーリング海峡を経て北アメリカへと向かい、その後、南アメリカに移りました。