第7話:3つの重要な要素【子どもが人格者に育つ教え「三字経」】

原文

三才者、天地人三光者、日月星。

三綱者、君臣義、父子親、夫婦順。
 

訳文

三才者 三才(さんさい)とは
天地人 天地人(てんちじん)
三光者 三光(さんこう)とは
日月星 日月星(じつげつせい)
三綱者 三綱(さんこう)とは
君臣義 君臣(くんしん)の義(ぎ)
父子親 父子(ふし)の親(しん)
夫婦順 夫婦(ふうふ)の順(じゅん)なり
 

解釈

三才とは、天、地、人のことを指しており、この宇宙を構成する基本的な要素です。三光とは、太陽、月、星を指し、天上にて光を発する三つの物体のことで、地球上の主な光源でもあります。

三綱とは、君臣、父子、夫婦など、人間同士の最も重要な三つの倫理的関係を指します。君主と臣下は互いに礼儀を持って接し、それぞれの職責を果たすことが求められます。また親と子は互いに愛し、親は子を慈しみ、子は親に孝養を尽すべきであり、夫婦はお互いに尊敬し合いながら仲良く暮らすことが大切です。
 

筆者所感 

中国では、よく年配の方が「天に星あり、地に人あり」という言葉を言いますが、これは中国数千年の伝統的な宇宙観である「天人合一」(天と人とは理を媒介にしてひと繋がりだとする意)を具現化したものであり、三才の通俗表現でもあります。古代の人々は、すべての人間が天空のそれぞれの星に対応しており、皇帝や将軍は天空の星の生まれ変わりであると考えていました。当時、その道の能力を持つ者は、夜に天を見ることで、王朝や時代を予言することができたと言い、中には姜子牙の『乾坤万年歌』のように、数千年にわたる王朝や人事の変化を予測できる者もいました。

この考えを最も典型的に表しているのが、皆がよく知るところの『三国志』です。三国志では、三国時代、諸葛亮孔明と対陣していた敵国が、大きな星が落ちるのを目撃し、孔明が死んだことを察したという出来事が描かれています。当時、病篤状態だった孔明は、ある日、他の人の手を借りながら外に出て、北側の空を見上げ、そのうちのある星を指し、「これは私の将軍の星だ」と言いました。その星は色が薄暗く、今にも落ちてきそうな状態でした。孔明はそれに剣を向け、呪文を唱えました。呪文を唱え終えると、すぐ天幕に戻りましたが、その時にはすでに人事不省の状態だったと言います。当時、誰もが蜀国の行く末を案じていましたが、相手の魏国の司馬懿も天を見る目を持っていました。司馬懿は、「色が薄く、角がある大きな赤い星が、北東から南西に流れて蜀の陣地に落ちたのを見た」と話し、驚いた様子で「孔明が死んだ」と続けました。古代の人々の天空を観察するという不思議な知恵は、現代の人々を大いに驚かせるものですが、今ではその風習はほとんど失われてしまいました。

よって、「三才」はまさに天人合一と神伝文化の体現であると言え、宇宙の主要な要素とされていました。古代においては、天の現象が人間の変化を決定し、人類の歴史文化は神の伝達に由来すると信じられており、それゆえに五千年の神伝文化は神が描く台本であるとも言われています。

中国古代には様々な予言書があり、周の時代に姜子牙が書いた『乾坤万年歌』や後漢末期に諸葛亮が多忙の合間を縫って書いたとされる『馬前課』、唐の李淳風と袁天罡による『推背図』、さらに劉伯温が明朝の国運に関して詠んだ詩歌体予言書『焼餅歌』など多数に及びます。これらすべてが各時代において書かれた後世に対する予言であり、そのほとんどが実際に現実として起こっているのです。つまり、古代の人々はこのようにして、完全には明言していないものの、予言という形を通して天機を泄らしてきたのだと言えます。

人類の文明歴史は遙か昔に設計された台本であり、中華五千年の王朝の移り変わりは、姜子牙や諸葛亮など、各王朝の名僧たちの予言に従って展開し続け、長い歴史の中で忠義と奸邪それぞれが自分の役割を演じてきたのです。また、各人がしてきた行いには、それぞれ相応の善悪の報いがあったものです。つまり、天と地、そして人間は常に一体なのです。人間の心が汚れていると、天災や人災が起こります。その目的は、人間の行動はすべて神々の監視下にあるのだから、良心を捨ててはいけないと警告するためです。悪いことをすれば、いつかは必ず報いを受けるときがきます。人々が神を信じず、神仏を侮辱し、人間の道徳基準に反した事を行うと、必ずや地震、洪水、疫病などの大災害が頻発します。

このように歴史において、人々は孔子が定めた倫理的・道徳的な規範に基づいて行動し、中でも特に君臣、父子、夫婦間の秩序に重きを置いていました。人類の最大の倫理関係は、国家の運営における君主と臣下の関係です。君主は君主の道を尽くし、臣下は臣下の道を尽くす、それぞれが自分の役割を守り、それぞれの立場としての原則に従って行動し、自分に与えられた責任を果たし、お互いに支え合い、国民を守ることが何よりも大切なのです。君臣の主従関係に背く者、利己的な者、つまり不道徳な者には必ず天罰が下ります。また、同様に、親子や夫婦の間には、家庭における秩序と義理が存在します。親は子どもに愛情を持って接し、子どもは親孝行する、そして夫婦は互いに尊敬し合うというように、家庭内においてのそれぞれの義務を果たすべきです。このような道徳的規範を定めることで、人々は自分の責務を果たし、道徳を一定の水準に保つことができるのです。その目的は、人間の善良な性を保つことにあり、天譴を回避するためです。仏教では三世因果の教えを説いていますが、これは古代の人々が美徳や道徳を重んじた根本的な理由を実に深く明らかにしています。
 

故事寓話
 

(LoveVector/PIXTA)

(一)女媧、人を造る

中国の神話によると、太古の昔、盤古は天地を開き、そこから一万八千年の歳月を経て、疲労により力尽きたそうです。そして、頭は山となり、目は太陽と月、髪は草木となり、血は海、声は雷、息は風となり、涙が川になったと言い伝えられています。こうして、地球上には山、川、草、木、鳥、獣、虫、魚ができあがったのですが、人間がいませんでした。

盤古の死後からまた一万八千年が経った後、地球上に女神が現れました。それが、女媧です。しかし、辺りを見渡しても誰もおらず、女媧は一人、寂しさを感じていました。ある日、女媧は、澄んだ水たまりを見つけ、水と黄土で泥をこね、自身を真似て人を作りました。その中には、男もいて、女もいたそうです。女媧が泥人形に息を吹きかけると、瞬く間に泥人形に命が宿り、話したり笑ったり、また走ったり踊ったりできるようになりました。小さな人形と共にいられることになった女媧は、ようやく笑みを溢すようになりました。

やがて、女媧は毎日一生懸命に土で人形を作るようになりました。しかし、手作業では時間がかかりすぎるため、女媧は縄を泥に浸し、泥の中から縄を引っ張るだけで、泥の雫が地面に落ちると、大小様々な人ができあがるようにしました。

しかし、小人の寿命は非常に短く、人類を絶滅させないために、愛すべき母なる神である女媧は、人々に婚姻という制度を設け、子どもを産ませて、子孫を繁殖させるようにしたのです。
 

(二)許允の聡明な妻

三国時代、魏の国に許允(きょいん)という人がいて、親の勧めに従って、阮(げん)家の娘と結婚しました。彼の妻は非常に聡明でしたが容貌が醜く、それを知らずに結婚した許允は愕然とし、妻の部屋に立ち入ろうとしなかったといいます。ある時、許允のもとを桓範(かんはん)という男が訪ねてきました。許允の妻は、彼なら夫を説得してくれるだろうと考え、信じて任せることにしました。案の定、桓範は許允を説得し、「阮家が醜い容姿の娘を貴方に嫁がせたのは、きっと深い意図があるはずだ。しっかり観察して、それを理解するべきだ」と伝えました。

それを聞いた許允は、妻のいる部屋に向かいましたが、新妻を見るや否や、振り返って帰ろうとしたのです。妻の阮氏は、許允が一度部屋を出たら二度と戻って来ないことがわかっていたので、慌てて彼を掴んで引き留めました。許允は妻を困らせるつもりで、彼女に対して「女性には四つの徳が必要だと言われている。婦徳(女性らしさ)、婦言(言葉遣い)、婦功(手先の器用さ)、婦容(容色)。お前はいくつ持っているのか」と問いを仕掛けました。すると阮氏は、「私に足りないのは婦容だけです。君子には、百の行いが備わっていると聞いております。貴方はいくつ備わっていますか」と言いました。許允が「すべて備わっている」と誇らしげに答えると、阮氏は夫に向かって「百の行いのうち、徳が最も重要とされています。貴方は女性の美貌を好み、徳を好んでいるわけではありません。それでどうしてすべて備わっていると言えますか」と言葉を返しました。それを聞いた許允は恥ずかしくなり、それ以来、妻を非常に尊敬するようになったそうです。

——正見網『三字経』教材より改編

つづく

文・劉如/翻訳編集・牧村光莉