農科学もうひとつの道 完全自然農法

10. 人生の本当の喜びを得る~自然界とリンクする

現代人は、かつてないほど豊かな文明を築き上げてきた。しかし、心はどうだろうか。モノがあふれ、便利になればなるほど、むしろ時間に追われる生活になり、かえってストレスをためている人が多いのではないだろうか。

もし、不思議なほどストレスが消えてしまう方法があるとしたら?

これは、偶然にも自然農法の研究を始めてから自分自身に起こったことであり、いまは多くの人も同じように経験している優れた方法だと考えている。おそらく、このことは食料生産の技術とは違った意味で、多くのストレスを取り除き、人生を有意義なものに変化させることができるだろう。

日本を含め、先進国の人々は都市生活者が多い。東京生まれ、東京育ちの筆者は、社会人になるまで都市生活しか知らなかった。高層ビルのエレベーターやエスカレーター、電車やバスの交通網、完備された上下水道。図書館、映画館にスポーツ施設。子供心に興味を引く文明社会ではあったが、いま振り返って、生まれ故郷に戻って生活したいとは思っていない。なぜなら、いまの都会には決定的に「自然」が欠けているからだ。

 都市生活者が多い東京の中心地 J6HQL / PIXTA(ピクスタ)

すでに都市生活者のほとんどは、都会に自然がないことに気づき、豊かな自然を味わうために休暇を取る。行き先は地方の海であったり、山であったり。そして、都市生活を続けるかぎり、たまに時間をつくって出かける以外に、自然との接点はないとあきらめているかもしれない。しかし、冷静に観察すると、現代人の心の問題は、都市生活者だけでなく、豊かな自然があるはずの地方在住者にも、実は同じように存在していることに気づく。

現代人の心の問題は都市も田舎も関係なく、日本全体に共通 Graphs / PIXTA(ピクスタ)

このことは、フリージャーナリストとして活動しているとき、教育や福祉の現場を歩いていて強く感じたことだった。子供たちのいじめの問題、高齢者の認知症の問題、社会人全体のうつ病の問題などは、都会も田舎もなく、日本全体に共通していたのだ。だからこそ、私自身の問題意識は、すべてに共通する「食と農の歪み」に傾注していったし、その感性は間違いなかったと思っている。

ついにジャーナリストとしてではなく、1人の研究者として自然農法にのめり込んだわけだが、その過程で思いもしないことが自分の身体に起きた。研究を始めて少し成果が出始めたころ、私の家族や知人たちから、「あなたは変わった」と言われるようになった。それまでのぴりぴり、とげとげしていた感じがなくなり、穏やかになったというのだ。とはいえ、自分にはその変化は自覚できないし、言えるとすれば、穏やかな方が本来の自分であり、それ以前は現代社会のストレスによって、性格が歪められていたのではないか。そして、自分が穏やかでいられるようになった理由を考えてみた。どうやら、それは自然農法の技術と関係しているように思われた。

一般的に「自然」という言葉には、どんなイメージがあるだろうか。大雑把に言えば、「山、川、海とそこにいる生き物たち」であるだろうし、別の視点では「人間以外の物すべて」という言い方ができるかもしれない。それをひと言でいうと「自然の生態系」という表現になる。そして研究を始めたことで、その生態系には2種類あることに気づくことができた。

生態系には2種類ある metamorworks / PIXTA(ピクスタ)

ひとつは「人間を含まない自然の生態系」で、レジャーで訪れる山や海を指す。もうひとつは「人間を含めた自然の生態系」で、これは完全自然農法の農場を指す。このことが、現代人の心の問題を解決する大きな手掛かりになるのではないかと考えている。

というのも、外部から農業資材を一切持ち込まないし、雑草すら土の中には入れないという完全自然農法の農場では、私たち人間は農地を造成するという役割を持っているだけで、あとは自然任せだ。農場には微生物や昆虫、爬虫類、鳥類のほか、人間を含めたさまざまな哺乳類も集まり、繁殖し、豊かな生態系を作る。その生態系で特筆すべきことは、我々人間が食べる農作物が、自然の生態系のなかで大量に作られるという事実だ。

「自然とつながっている(リンクしている)」ことに、言葉にできない安心感を得ることができる。Fast&Slow / PIXTA(ピクスタ)

「生態系」というのは、放っておくことで勝手に生き物同士がバランスを取り、安定しようとする状態を言う。そのバランスのなかに、たくさんの人間と農作物が含まれるのだ。私だけでなく、その事実に直接触れた人は、「大自然に自分が迎えられている」という実感を持ち、「自然とつながっている(リンクしている)」ことに、言葉にできない安心感を得ることができる。それが私にとって、本当の生きる喜びをもたらしてくれたのだと、いまは確信している。

自然農法というと、食料生産の視点でしか語られないが、実は「人間とは何か」「人間はどう生きるべきか」という根源的なテーマを投げかけているように感じている。そして、完全自然農法は、その問いにひとつの解答を示してくれているのだと思う。

参考写真 自然農法の勉強会(ハル農園にて)

つづく

執筆者:横内 猛

自然農法家、ジャーナリスト。1986年慶応大学経済学部卒業。読売新聞記者を経て、1998年フリージャーナリストに。さまざまな社会問題の中心に食と農の歪みがあると考え、2007年農業技術研究所歩屋(あゆみや)を設立、2011年から千葉県にて本格的な自然農法の研究を始める。肥料、農薬をまったく使わない完全自然農法の技術を考案し、2015年日本で初めての農法特許を取得(特許第5770897号)。ハル農法と名付け、実用化と普及に取り組んでいる。
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