古典協奏曲の父――アントニオ・ヴィヴァルディ

アントニオ・ヴィヴァルディは1678年にイタリアのヴェネツィアで生まれ、1741年7月28日にウィーンで亡くなりました。14歳の時から神父になるための教育を受け、25歳に正式な聖職者になりました。ヴィヴァルディの髪色が赤かったため、彼は「赤髪の神父」とも呼ばれていました。後に、「体調不良」という理由で聖職者を止めたそうです。

ヴィヴァルディはバロック時期の音楽家で、生涯40以上もの楽曲と500以上もの協奏曲を創作しました。その清新で活力のある楽曲スタイルが人々に親しまれ、後の音楽家たちに大きな影響を与えました。

例えば、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンやヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの楽曲からヴィヴァルディの作風が見受けられ、また、ヨハン・ゼバスティアン・バッハもヴィヴァルディのバイオリンなどの弦楽器を用いた楽曲を、自らのフォルテピアノ曲や組曲の創作に引用しました。ヴィヴァルディは協奏曲の宗主ともいえる存在で、早期の協奏曲に多大な影響をもたらし、後の古典音楽協奏曲の格式の基盤となったのです。

今日、ヴィヴァルディの最も知れ渡っている作品はやはり彼の協奏曲で、特にバイオリン協奏曲が最も人気です。現在の協奏曲形式から見ると、ヴィヴァルディの協奏曲は比較的に短く、3つの章から成っており、2つのテンポの速い章の間には遅めの楽章が入っています。

ヴィヴァルディの代表作は「四季」です。これは12もの作品が含まれたヴァイオリン協奏曲集『和声と創意の試み』の最初の4つの曲の総称で、18世紀初期のヴェネツィアで初公開演奏されて以来、ヴィヴァルディのすべての作品の中の最高のものとなりました。

彼はアルカンジェロ・コレッリとジュゼッペ・トレッリの楽曲作法を引用して、バロック風協奏曲を新たな領域へと導きました。「四季」に次ぎ、ヴィヴァルディは18世紀以前の抽象的概念の音楽を、後のいわゆる標題音楽の創作に転移させ、後世の作曲家たちのために道しるべを残したのです。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第6番、ヘ長調の「田園」も含め、皆、ヴィヴァルディの楽曲創作方式の影響を受けていることが分かります。

(文・王暁于/翻訳編集・天野秀)