2008年に発見された肝臓ガンを見事に克服。韓柏檉氏の「復活劇」はガン治療の奇跡とも称されています。(韓柏檉氏提供)

末期ガンから12年「ますます元気」 台北医大教授が語る人生再建

2008年4月に肝臓ガンが発見されて以来、複数回にわたって再発を繰り返しながらも、自身のガンを克服したのは台北医学大学公衆衛生学部の教授・韓柏檉氏。当初は余命3カ月と宣告された同氏でしたが、現在は完全に健康を取り戻し、人生の喜びを味わいながら自身の体験と、それを支えたポジティブ思考の大切さを世に伝えています。(以下、韓氏自身の語り調で、稿を進めさせていただきます)

親愛なる日本の皆様へ

こんにちは。私は台湾の韓柏檉(かん はくてい)と申します。今年(2020)で64歳になりますが、現在の健康状態は非常に良く、毎日を明るい気持ちで幸せに過ごしています。

もう12年前になりますが、私の体に大きな病が見つかりました。肝臓ガンでした。大きさにして19cm。重さ2kgに及ぶという「巨大な腫瘍」だったのです。1回目の手術によって、肝臓の2/3を切除しました。手術の後、主治医は私に対して、化学治療を継続することを提案しませんでした。

もちろん、それがなぜか、私には分かっていました。私も医療を専門として大学で教鞭をとる者です。自分が置かれている状況と、自身の今後の時間がどれほど残されているのかについては、想像するまでもなかったからです。私の余命が(宣告されるまでもなく)非常に短いということは明らかでした。「3か月です」と言われて、おや3か月とは意外と長いな、と思ったくらいです。

それよりも参ってしまったのは、転移によるガンの再発が複数回おきたことです。転移と再発は、やはりショックでした。まずは肺ガン、その後また肝臓に2cmの腫瘤が見つかって計2回の再手術となりました。その間に、25回の化学治療と、12回の放射線治療がほどこされました。

それは苦痛そのものの日々でした。毎日が不安や恐怖にかられていたといって間違いないでしょう。これは「天人交戦」つまり人間である私と、天命との戦いなのか。それにしても、このガン闘病の苦痛は、実際に経験したものにしか分かるまい。他人が私をいくら慰めたり励ましたりしても、本当に、何の役にも立たないのです。

このような苦痛と不安に悶える日々のなかで、私の内面に、少しずつ変化が起こり始めました。余命3か月と宣告されはしたものの、もしもそこに僅かでも残された時間があるのなら、私はそれを心から感謝し、可能な限り大切にしたいと思うようになったのです。

以来、私は、長年にわたり自身が行ってきた「悪いこと」を心から反省し、完全に改めることにしました。

ガンを克服した今、自身の体験を発信する韓柏檉氏。(韓柏檉氏提供)

ネガティブ思考を捨て、誤りを認めて謝罪する

大病を患う以前の私は、いつも娘に対して厳しい目を向けていました。娘にしてみれば、このような厳格な父親をもったことは、岩のように重い圧迫感でしかなかったでしょう。私と娘との屈折した親子関係は、解けぬ氷河のように固まったままだったのです。

私は娘に向かって、心から謝罪しました。自分の、父親としての過ちを全て認めて、娘に謝ったのです。「おまえが私を許してくれるかどうか分からない。ただ、この二つだけは、はっきり言える。私が間違っていた。そして私は、おまえを愛している」。

娘の顔に、かすかな笑みが浮かびました。厚い氷はすぐに解けなくても、この瞬間から解け始めたことは間違いありません。それが私にとって、どれほど嬉しかったことでしょう。

私の気持ちは、少しずつ軽くなっていきました。ネガティブな思考をポジティブに替えるとは、言うのは簡単ですが、本当にその意味を理解できるのは、ある極限まで迫られた、人生の重大事の時でなければ不可能なことです。

今までは、ただの知識として知っていただけですが「ネガティブ思考には発ガン性がある。喜びの心は良薬になる」を、まさにその通りだと実感したのも、この時でした。私は医療の専門家ですが、自分の命が限られたものであるという現実を突きつけられて、初めてそれが分かったのです。

ネガティブ思考をもつ原因のほとんどは、自分と他人との関係が良くないことから生じます。私もそうですが、特にインテリは自己意識が強く、なまじ知識があるばかりに自分の過ちを素直に認められず、意地を張ることが多いものです。

これはまさに、自分を変え、自身を磨くプロセスでした。あの日以来、私と娘との関係はとても良くなり、今では、娘のほうから心を開いて話してくれるようになりました。娘と交代で、家族のために料理を作っています。外出先で、娘が作ってくれたお弁当を食べるとき、私は父親として最高の幸せを感じています。

就寝前、ぬるめのお湯に粗塩を加えた足湯につかると、心身ともにリラックスできます。(Shutterstock)

心身をリラックスさせる「足湯」

私は就寝前によく、ぬるめのお湯に粗塩を加えた足湯につかります。心が落ち着いて、よく眠れますので、体のリフレッシュにも役立ちます。

足が海水に触れると心が和むのと同じ理屈でしょう。足湯をつかうときは頭を空っぽにし、何も考えず、食事やテレビを見たりもしないでください。熱いお湯は、体温が上がるため、かえって気分が高揚してしまうので、リラックス効果にはなりません。そのほかのリラックス方法として、私は腹式呼吸や暝想も取り入れています。いずれにしても「リラックスする」という気持ちになって、その数分間は、自分の頭を空っぽにすることが大切です。

自分で料理を作って学ぶ「体に良いもの」

料理を作ると言っても、難しく考えてはいけません。考えて面倒に感じるならば、それがストレスになってしまいます。大らかに、楽しく作ってみることです。

自分で調理するにしても、市販のものを買うにしても、口にすべき食品は何か、避けるべき食品は何かという知識は必要です。

避けるべき食品は、例えば、砂糖を含む飲料、スナック菓子、加工食品、精製された澱粉、油、赤い肉(豚肉・牛肉)。加工食品は、往々にしてガンの原因になるだけでなく、ほかの慢性病を引き起こす可能性もあります。人々が好んで食べる菓子類には、トランス脂肪酸が多く含まれています。私は、今では全く口にしない食べ物です。

よく食べる食品としては、雑穀米、野菜や果物。塩や砂糖を減らすために使う香辛料。質の良い植物油。野菜と果物の色は、できるだけ多様で、いろいろな色のものにします。糖分を減らすために、果物は、甘さが低いものを選びます。

以下は、ガン予防と抗ガンの効果が比較的高い食物で、いずれも私が実体験したものです。

野菜:キャベツ、白菜、テンサイの根、ホウレンソウ、カラシナ、アスパラガス、カリフラワー、ブロッコリー、タマネギなど。がん細胞の成長を抑制する効果がよい。

香辛料:ニンニク、青ニンニク、ネギ、百里香(山椒の一種)、ローズマリー、ウコン、クローブ粉など。豊富な抗酸化物質を含み、きわめて良好な抗炎症効果をあらわす。

タンパク質:主に植物性タンパクであり、豆類、豆腐、サヤインゲン、エンドウ豆など。動物性タンパク質は卵、白い肉(鶏肉)、有機乳製品など。

油脂類:ナッツの他に、オリーブ油、キャノーラ油、アマニ油などの不飽和脂肪酸オメガ3を含む良質の油のみ、調理に使います。

ニンニク、青ネギ、タマネギを食べると、ガン予防に役立ちます。(Shutterstock)

私が毎日必ず食べるもの

お話の最後に、私が毎日、必ず口にしている頼もしい「抗ガン剤」をご紹介しましょう。

1、緑茶3~5杯。またはレモン水、発芽大豆豆乳1杯。発芽した大豆にはアミノ酸が多く含まれているので、吸収しやすく、ガスが溜まりにくいです。

2、ウコン1さじ、黒コショウ半さじに、オリーブオイルを少し混ぜたものを、サラダ、おかず、スープ、雑穀飯にかけて食べます。

3、ニンニク、青ネギ、タマネギ、キャベツ、カリフラワー、エノキタケ、マイタケなど多糖類を豊富に含有するキノコ類。昆布などの海藻。これらを食べて腸管の蠕動を助けるとともに、体内の重金属を含む廃棄物を排出します。

4、新鮮なイチゴ、ブルーベリー、桑の実、ラズベリーなど。抗酸化成分を有し、甘さが低いベリーを食べます。

5、腸内細菌相を調整し、腸の免疫力と健康を増加するために、プロバイオティクス(善玉菌)を適切に補充します。

 

日本の皆様。いかがだったでしょうか。こうして12年経った今、かつて余命3カ月と言われた私のガンは全く再発していないばかりか、毎日を、非常に元気に過ごしています。

こうして神様によって延長された私の命は、その全てが、他の方々のお役に立つためのものです。日本の皆様が、いつまでもお健やかでありますよう、こちら台湾よりお祈りしております。

 

(文・蘇冠米 翻訳編集・鳥飼聡)

 

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