【党文化の解体】第3章(26)

5.多種の文芸形式を利用し、党文化を注入する

1)映像を利用し、党文化を注入する


 (2)主調と多様化

 八十年代以来、中共の経済改革の実施につれ、映画界も企業管理方式や競争原理の導入を試みた。

 目下、大陸で上映されている国産映画のうち、約25%がいわゆる「主調」映画で、70%が娯楽映画、5%が芸術映画である。しかし、映画による宣伝効果が削減されたわけではなく、それがより複雑で精緻な手法に変っただけであった。

 第一に「主調」映画は依然として党文化を注入するという役割を担っている。中共の政策は主調映画の製作費高額投入、大々的な製作撮影、紅頭文書(※1)の発行、各級単位による組織的観賞を保障する。

 「大決戦」に投入された製作費は数千万元に達し、撮影地は13省に及び、撮影に動員された人数は総勢で延べ15万人にまで達した。中共がいかに「主調」映画を重視しているかが窺える。中央宣伝部、中央組織部、国家教育委員会、ラジオ・映画・テレビ部、文化部、全国労働組合総会、全国婦人連合会、中央共産主義青年団などの単位は数回にわたり、「主調」映画の封切りと放映に関して連合する形で通知を公布し、各級部門に組織的な観賞を行なうよう指示した。「開国大典」、「焦裕禄」、「毛沢東と彼の息子」などの映画鑑賞に動員された観衆は相当な数に上った。

 次に、「主調」映画のハイテク化、精緻化、人情化へ展開し、八十年代以後、中国の改革開放に伴い、国民の識別する能力は強くなり、中共の従前のような赤裸々に作り上げた嘘偽りが通用しなくなった。

 中共の御用映画監督たちは人々の心理を憶測し、ある複雑な「主調」映画の策略を作り上げた。いわゆる「革命的な歴史」をテーマにした映画の中で、創作者はドキュメンタリー風の捏造に苦心して、歴史に対して傾向性のある陳述を客観的な歴史的事実であるかのようにすりかえたのだった。

 戦争映画には大場面による表現を重視し、迫真の戦争イメージをもって人々の理性的判断に衝撃を与え、これにより、人々は歴史的事実と叙述の違いを弁別しようとしなくなった。映画の中の「革命の指導者」のイメージは血の通った人間としてねつ造され、彼らに対する人情、愛情、友情により、観衆との距離感を縮めた。

 「党の敵人」も従来のように凡庸無能の模様が消え、これら「敵人」も一定の才能や人格を持つ人物像として再表現され、歴史の戦いの中で、中共の手によって敗れ、中共の指導者はより優れた相手であることが浮き立たせされた。

 「江沢民その人」という書物の中で次のようなことを記述しているが、これは中共の「主調」映画に対する手法の精緻さを証明できるものである。江沢民は「開国大典」の試写会に招待され、映画の中の一部の映像に興味を持った。なぜならば、これらの映像はまるで貴重な歴史的ドキュメンタリー映像であるかのように見えていたからである。

 江沢民はこれらの映像はどこから見つけたのかと監督に聞いた。その監督は、これらの映像は端から探して見つけたものではなく、撮影したばかりのもので、特殊技術の処理を経た後、ドキュメンタリー映像のように見えるのだと回答した。江沢民は我が意を得たりといわんばかり試写後に総括した。「本物と偽物のコンビネーションでまんまと一杯食わされたよ」。

 

(イラスト・大紀元)

中共の典型的な宣伝映画の基調は、「偉(偉大な)・光(栄誉ある)・正(正しい)」、人物像は「高(気高く)・大(器が大きく)・全(欠点がなく完璧)」である。

 歴史上における多くの罪悪が曝露されるにつれ、次々に現実的な苦境に陥いる中で、中共は自己弁護のために異なった宣伝策略をとらざるを得なくなった。ある映画の中で、中共の指導者は崇高な人格を持っているイメージで捏造されるが、無情で必然的な歴史的過程の前では無力で悲劇的な人物として描かれ、そうして観衆には彼らが歴史上で犯した罪行を大目に見るよう求め、同時に観衆には普通の人としての快楽を覚えさせ、現存の社会秩序の中で安逸にするよう仕向ける。

 他に広範に使用される手段は「煽動」である。映画「_deng_小平」の監督は次のように話している。「我々は必ずや_deng_小平の一連の偉大なる革命的壮挙を強大なる感情的衝撃波に変え、すべての理性的事件を感情的情緒に変える!」、映画「焦裕禄」と「孔繁森」の中には大量の民衆による国民葬の場面が登場する。スクリーン上に映される民衆の悲しみに満ちた号泣が劇場の観衆にまで感染し、観衆たちまでもが映画の主人公の「崇高な道徳」に感動する余り、彼らが代表する「党」のイメージを認めてしまう。

 第三に、娯楽映画も同様に党文化を注入する役割を担っている。「映画通信」の1991年第5期評論者文章ではこう記されている。「創作精神の一つとして、それ(主調映画)は量的な概念ではなく、多数の作品であるとか少数の作品であるとかの関係を指すものでもなく、この題材とかあの題材とかの関係を指すのでもなく、どのような創作をも排斥しないばかりか、却って一切の創作指導の中に浸透されることが求められる」。

 一部の映画は娯楽作品という衣を纏っているため、その中の党文化は見事に隠蔽され、観客は歴史的伝説、ラブ・ストーリーあるいは目を奪われる非日常的な場面を観賞して、知らないうちに党文化による観念や趣味が注入されてしまう。

 映画「英雄」の製作費は2億5000万元で、華麗な映画言語をもって、独裁的な強権と暴力的な征服を謳歌している。映画「美しい母」では、解雇された女性工員の悲惨な運命が家族の障害(女主人公の息子は聾唖)に起因するとして描き、中共政策の失敗により大量の民工が失業した事実を覆い隠そうとしており、そうした映画の多くはエピソードを捏造し、中共の代わりに民族主義的な情緒を煽動している。

 第四に、中共は映画を利用して伝統的な文化や伝統的な人物を貶して低く評価している。長期に渡って党文化の宣伝により洗脳された結果、中国人の大多数はもはや伝統的文化と伝統的社会の本来の姿が分からなくなっている。

 80年代から、映画監督の多くが党文化に対抗しようと躍起になったが、彼ら自身も共産党の統治下で成長したため、党文化の思考回路をもってしか伝統的社会の本来の有様を推測するほかないのである。したがって、多くの映画の中での伝統的中国社会は、閉鎖的で抑圧的で野蛮な集合体であり、中共統制後の社会のほうが開化的・進歩的であるかのように描かれている。実は、これもあの進化論の思考回路に従って推測されたもので、異なった方式で党文化を重複しただけである。

 第五には、あらゆるところに存在している党文化はすでに映画を審美する品格要素となり、すべての映画・テレビ作品に浸透し、民衆の昔を懐かしむ情緒を利用し、人々の精神を党文化で雁字搦めにするものである。

 その他の芸術様式に比べ、映画は独自の特徴を持っている。例えば、文学、美術、音楽が何を表現するのか、何を表現しないのかは、非常に大きな自由空間であり、映画はそのエピソードが発生した時の物質環境を全面的に表現できる。

 そのため映画画面の背景と道具は、その全てを念入りに準備することにより、そのエピソードが発生した年代の典型的な環境を再現することができる。例えば、「文革」時期の環境を表現するには、毛沢東の銅像、「大字報」(※2)、人民解放軍の緑の軍服、「紅宝書」(※3)等が必ず登場する。

 1949年後の中国は、共産党独裁の天下である。この時期の典型的な環境を表現しようとするならば、濃厚な党文化の色彩を持つ物品、音声と場面を使用するほかないのである。これらの場面は往々にして、観衆の懐古的情緒を喚起させ、その時代は多くの欠陥があったが、かつては必死に生きていたのだと錯覚させる。

 プーシキン(アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン、1799~1837、ロシアの詩人・作家)が言ったように、「過ぎ去った日々は懐かしい思い出」なのである。過ぎ去った日々が如何に苦痛で誤ったものであろうが、人々はその当時まだ青年であったから、現在思い出したら一種のロマンチックな感覚を免れないのである。

 説教じみた映画は、今日においては一般的に反感を招くため、この種のいわゆる「手拍子で、ついでに」という方式は、客観上で映画・テレビが中共の代わりに党文化を注入する主要な形式の一つとなっている。

 この種の懐古的情緒を喚起させる映画の独特の要素は、往々にして映画が表現するエピソードの背景となっている。このような方式により、これらの符号に隠された情報が、人々に警戒心を起こさせることなく、障害なくその脳裏に難なく侵入する。

 映画・テレビ「激情燃焼の歳月」、歌舞、文学、ファッションないしは広告(北京中関村では、かつて巨大広告に「インターネットを必ず実現せよ」と文革風に書かれていた)、紅色旅行(共産人民革命に所縁の地を巡るツアー)等々、全てがこの「懐古的情緒」の大合唱に参加している。実際、その全ては中共の党文化が中国人の精神を雁字搦めにするよう手助けしているだけなのである。

(※1)紅頭文書…1999年に発布された中華人民共和国の「行政復議法」では、「紅頭文書」の超法規的権限を認めており、法律、行政法規、地方法規、行政規章以外にも、「郷、鎮人民政府の既定、県級以上の地方人民政府及び工作部門の既定、国務院部門の規定」にも拘束されない。

 紅頭文書に記載されているのは、各級党委員会、人大、政府、政協が提出した政策に関する文件、決定、意見などである。その特徴は、不特定な対象に対して発し、長期にわたり効力を持ち、しかも反復適用される行政規範上の文書であり、行政執行上の重要な根拠の一つである。

 この文書の発布は、「立法法」が規定する法律、法規、規章がマスコミで公表される方式とは違い、権力機関と関係機関、企業単位、あるいは社会団体内部の上層部間で伝達されるものである。文書の末尾に伝達上の要求が「一級」と記されており、省軍級、県団級などがそれであり、しばしば「絶秘」「機密」「保密」など機密を保持する秘密保全も併せて要求される。

 文書の標題であるヘッドラインが赤字で表記されているため、習慣的に「紅頭文書」と称されている。

(※2)大字報…大きな字で書かれた壁新聞。1950年代から1970年代末、80年代に中国大陸で流行したスローガンの伝達形式。「大鳴、大放、大字報、大弁論」という四大の一つ。政治的道具の一種で、当時の複雑な政治運動と関連して階級闘争、政治的な暴力を実現することが目的。

(※3)紅宝書…文革中における毛沢東の著作の総称。特定の状況下では、紅宝書は「毛沢東語録」、「三合一」など、毛沢東の著作を簡便に編集してまとめたものを指す。2000年代から、出版社の一部は書籍に「紅宝書」のエンブレムを添えることにより権威を示している。

(続く)

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