高枕無憂(こうちんむゆう)
「高枕無憂」とは、枕を高くして、ぐっすり眠り、心配事がないということ。せわしない世の中、なかなかそのような境地にはなれませんが、中国戦国時代の故事が、その秘訣を教えてくれるかもしれません。
戦国時代(475-221BC)、斉という国に住んでいた孟嚐君(もうしょうくん)は非常に寛大で、たくさんの食客を家に住まわせていた。その中に、馮諼(ふうかん)という男がいた。食客とは通常、一つ二つは特技を持ち、居候する代わりに主人が困った時には助けることが条件だったが、馮諼には特に秀でたところがなく、孟嚐君も持て余していた。
ある日、孟嚐君は馮諼に、薛(せつ)という領地へ赴き、そこの住民から借金を取り立てるよう依頼した。馮諼はこれで主人のお役に立てると喜び、さっそうと領地へ向かった。しかし、馮諼は住民を前にすると、突然借用書の一部を焼き捨ててしまった。
馮諼は、「孟嚐君は寛大な領主である。彼は金銭にこだわらず、民衆の生活が向上することを願っているのだ」と告げ、住民のために宴会を開いた。薛の住民は喜び、心から孟嚐君を賞賛した。
孟嚐君はこの話を聞くと、たいそう不機嫌になったが、その一方で薛における彼の名声は高まり、住民たちの尊敬を勝ち取ることができた。孟嚐君は、引き続き馮諼を食客として住まわせることにした。
月日は流れ、孟嚐君は宰相に就任するために秦へ入ったが、当時の王である昭襄王(しょうじょうおう)から罷免され、追われる身となった。孟嚐君は難を逃れ、流れついたのは薛の土地だった。薛の住民は孟嚐君が以前、借金を免除してくれたことを覚えており、孟嚐君とその家族を温かく迎え入れた。
孟嚐君はその時、馮諼の先見の明に感心した。しかし、馮諼はこれだけに満足せず、次の手を考えた。
馮諼は早速、諸侯国のひとつだった衛(えい)へ赴き、孟嚐君が非常に有能であり、必ずや国のために役立つだろうと君主に伝えた。それを聞いた衛の君主は納得し、すぐに孟嚐君を宰相として迎え入れようとした。
孟嚐君が衛の宰相になるという噂はすぐに秦の王の耳に届いた。秦の王はすぐに使いを遣り、自分の国の宰相になるようにと要請した。馮諼は孟嚐君に、衛からの要請を断るようにと勧めた。
馮諼は、これだけに満足せず、孟嚐君に言った。秦の祖先の記念碑を秦から薛に送り、薛に秦の祖先を祀る寺を建てるよう、孟嚐君から秦の王に勧めるようにというのだ。そのような神聖な寺を建てれば、薛の土地は安泰であるから、という理由だった。
馮諼の計画通りに秦の寺が薛に立てられると、馮諼は孟嚐君に言った。「さぁ今、貴方は何の心配もなく、休める場所が三つありますよ。今は枕を高くして、ゆっくりと眠れます」
秦と衛、両方の宰相のポストを手に入れた孟嚐君。さらに、彼の土地である薛には秦の祖先を祀る寺が建ち、秦が攻撃してくる心配もない。馮諼の名案は、まさに「備えあれば憂いなし」の例ですね。
(翻訳編集・郭丹丹)