【歌の手帳】東風吹かば
東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ(大鏡)
日本は、自国ながら、なんとも興味深い国です。神話の昔より、多神であることが当たり前でした。それはそれで、人々の身近に八百万柱もおわしますので結構なことですが、後世になると、本地垂迹(ほんじすいじゃく)という大胆すぎる発想転換によって、なんと仏教と神道をくっつけてしまう荒技を演じました。
さらには歴史上に実在した人間を、その生前の功績や武勲によって、死後に「かみさま」として祀ったりもしました。こうなると、純粋な信仰というより政治的作用が大きいかと思われますが、日本人はその点に不思議なぐらい寛容で、ほとんど違和感を持たないばかりか、自家のお墓よりも頻繁にそうした神社に多くの人が参拝しています。
菅原道真(845~903)ほど、死んでから多忙な人はいません。全国各地で「天神さま」にされてしまった上、合格祈願の頼みごとがあれほど多くては、おちおち寝てもいられないでしょう。もちろん、天神さまは「自分で勉強して合格しなさい」としか言わないのですが。
菅原道真については、よく知られている人物ですので簡潔にとどめます。名門とはいえない家柄ながら、幼少期から非凡な漢学の才を発揮し、宇多帝の近臣として帝の絶大な信認を得ます。ところが、譲位された醍醐帝のもとで道真は右大臣にまで昇進すると、これを妬み反対する藤原時平らの謀略により、九州の大宰府へ左遷されてしまいます。
道真は大宰府で没するのですが、その後の京都では、疫病がはやり、要人の病死や事故死が続きました。こうした「菅原道真の怨霊」による恐怖は、930年、清涼殿への落雷により複数の無残な死者がでたことで頂点に達します。「これは道真の祟りだ。いそぎ鎮めよ」ということで、道真の神格化がすすむことになります。
大宰府天満宮に今もある「飛梅(とびうめ)」をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。私も一度、梅の季節ではありませんが行ったことがあります。道真が左遷された後、京都の庭に残された白梅が主人を慕って大宰府まで飛んできた、という伝説の梅ですが、見ていると、なぜか「この梅、本当に飛んできたのだなあ」という気になってしまうから不思議です。道真公もさぞお喜びだろうと、確かに私も思った記憶があります。
それでは飛梅の気持ちになって、一首。
梅の香をはこぶる風は吹かねども飛びて至れりその根ちぎれて
(敏)
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