2020年4月4日に中国武漢で、中共ウイルスによって亡くなった人々に花を供える住民(Getty Images)

中共ウイルス犠牲者の遺族、記念碑建設を計画「この歴史を忘れない」警察から脅迫

「父を武漢に帰らせたのは死に追いやるようなものでした」と張さんは泣きながら話した。「感染拡大(の深刻さ)を知らされていたら、父を帰らせなかったでしょう」

 

中国武漢で中共ウイルス(新型コロナウイルス)が発生して以来、当局が正確なデータを公表していないため、死亡者数は謎のままだ。

 

しかし1月、武漢で育ち、現在は南部の大都市である深圳に住んでいる張さんは、武漢当局が当初流行の深刻さを実際より軽く報道したため、このウイルスの感染力を知らなかった。

 

危険を知らされないまま、張さんは父を武漢の病院に連れて行き、転倒で負った怪我の治療をした。彼の父は中共ウイルスに感染し、間もなく死亡した。

 

彼のように、中共ウイルスによって愛する人を失った人々に慰めを与えるため、張さんは最近、死亡した人々の記念碑を建てる資金を集める計画を立てた。

張さんによると、深圳当局は彼を監視し始めたという。「彼らは私の問題を解決してくれませんでしたし、私の電話を監視してブロックしました。他の人は私のSNS上の投稿を見ることができませんでした」と張さんはインタビューで話した。

武漢に戻る

張さんは深圳で働いている。2019年初め、退職した76歳の父と一緒に暮らせるように、張さんは父を深圳に連れてきた。

今年の1月15日、張さんの父は転倒して骨折した。張さんが父の治療法について尋ねたところ、武漢の当局者から、父は武漢の病院で無料の治療を受けることができるが、深圳では治療費を支払わなければならないと言われた。

1月初めから中旬にかけて、武漢当局は、感染は「予防可能で制御可能」であり、ヒトからヒトへ感染するリスクは低いと発表していた。

武漢でのウイルスの感染拡大が深刻だと知らなかった張さんと父は、1月16日に武漢の家に戻った。翌日、父は武漢の軍事病院である人民解放軍中部戦区総合病院で骨折の治療を受けた。

「武漢は当時、いつもと変わりませんでした。医療スタッフは防護服を着用せず、人々はマスクを着用していませんでした」と張さんは話した。

数日後、張さんの父は熱を出し、病状は日増しに悪化した。1月30日、父は正式に中共ウイルスに感染したと診断された。その日、病院の医療スタッフは突然防護服と他の防護装備を着用し始めたと張さんは記憶している。

2月1日、彼の父は病院の隔離されたエリアに移され、そこでは多くの中共ウイルス患者が治療を受けていた。

「中共ウイルス患者の指定エリアがあるとは知りませんでした。いつ設置されたのかは分かりません。しかし、一つはっきりしていることは、病院は確かに(1月に)中共ウイルスの患者を治療していて、父は病院で感染したということです」と張さんは話した。

隔離されたエリアで数時間治療を受けた後、彼の父は亡くなった。遺体は武昌葬儀場に移され、父に別れを告げることが出来ないまま、遺体は葬儀場で火葬された。

遺骨の受け取り

3月下旬、武漢政府は遺族が遺骨を葬儀場から受け取ることを許可した。それまで、市は葬儀場に入ることを禁止していた。

張さんによると、当局は葬儀場を訪れる遺族全員に政府職員の同行を義務づけたという。

「中国文化では、遺骨を受け取り、埋めることはとてもプライベートなことです。誰もが知らない人に同伴してもらいたくはありません」と張さんは話した。

張さんは、当局は遺族が互いに話をしたり、感染情報を広めたりするのを阻止しようとしたと考えている。

「政府は私たちに無理やり遺骨を受け取って埋めさせようとしました。私を含めて多くの人は、この強要に従わず、遺骨を受け取りませんでした」と張さんは語った。

3月下旬のある日、武漢の政法委員会(公安、司法などを統括する機関)から電話があったという。電話をかけてきた人は、張さんが別の政府幹部だと勘違いして、張さんを監視してコントロールする方法について話し始めた。

電話をかけてきた人は、張さんが親戚や友人に送ったプライベートなメッセージと、当局が張さんのメッセージを検閲したことについて話した。張さんの携帯電話のアプリでは、彼のメッセージが送信されたと表示されるが、受信者はメッセージを受け取ることが出来なくなっていた。

張さんは4月8日に仕事のために深圳に戻った。



記念碑

張さんは最近、武漢に中共ウイルス犠牲者のための記念碑を建てる資金集めを始めた。

「この記念碑は、私たちの親族を追悼するとともに、この歴史を忘れないよう人々に警告するためのものでもあります」と張さんは話した。「政府が感染拡大の情報を即時に発表するように警告するでしょう。何も変わらなければ、同じ災害が再び起こります」

張さんがこの取り組みを始めた後、深圳警察から2度にわたって呼び出された。最初は4月29日で、警察は彼にSNSへの投稿を止めるよう強要した。

2度目は5月4日で、WeChat(人気のSNSアプリ)で張さんが中共ウイルスで死亡した人々の遺族のチャットグループを立ち上げた時だった。この時、警察は張さんのSNSの投稿を見せ、強制的に張さんにチャットグループを削除させた。

「私は怖くないです。私は愛する人を(政府に)殺されました。どうして黙っていられますか?どうして声を上げず、責任ある人々に責任を取らさずにいられますか?」と張さんは訴えた。

張さんは、彼のチャットグループのメンバーの何人かが武漢にいて、武漢警察によって脅迫されたと言った。「彼らは(警察によって)、1カ月黙っていれば監視されないと告げられました」

張さんは計画をあきらめないと話す。記念碑を建てるのに十分な資金を集めることができなければ、遺族を援助する他のことに資金を使う予定だという。

(大紀元日本語ウェブ編集部)

 

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