なぜ米ウォール街が中国を信用しなくなったか=程暁農氏
米ホワイトハウスはこのほど、米中通商協議の見通しについて、楽観的ではないと明白に示している。米とは対照的に、中国当局は金融セクターの市場開放を加速すると公表し、前向きな姿勢を見せた。当局はより多くの外資を引き付けようとしている。しかし、ウォール街の反応は冷ややかだった。この冷淡な反応は、米中関係の現状と今後への懸念や、中国経済への先行き不透明感を表しただけではなく、中国側の金融市場開放政策への不信感も反映させている。
米金融エリートを動員する狙いか?
7月20日、中国国務院の金融安定発展委員会弁公室は、金融セクターにおける対外開放政策11項目を公表した。そのうちの3項目は、外資格付け企業の中国インターバンク債券市場へのアクセスに関するものだ。中国当局は、外国格付け機関の参入によって、海外機関投資家が同市場に投資しやすくなると考えている。また他の8項目は、国内保険業や金融資産運用管理業の一部の開放に関する内容だ。やはり、外資を誘致し、中国の保険業と金融業の理財商品にその莫大な資金を注ぎ入れるのが目的だ。
現在、先進国の中で、米国経済だけが好調だ。欧州諸国と日本の経済はやや減速している。だから、中国当局の金融開放策は、米ウォール街を狙った大規模な資本供給対策であろう。当局はこの新政策で目下の「資金難」を解決できると考えた。中国は、米ウォール街が再び対中投資に熱中するよう仕向け、そしてウォール街のエリートを介して、トランプ米大統領に圧力をかけていく企みでもある。マルクス主義の教えの下で中国当局は、資本主義国家の政治家は大きな財団や銀行に操られていると信じている。だから、「ウォール街を制すれば、トランプ大統領も制することができる」と中国側は思い巡らす。金融市場開放をめぐる新政策は、中国当局の「経済カード」のように見えても、実は「政治カード」なのだ。
客観的に見ると、中国当局が金融開放新政策を打ち出したのは良いタイミングとはいえない。米中通商協議の膠着(こうちゃく)状態、香港情勢の緊張で、富豪は相次いで資金を海外に移し出しているし、投資家も投資活動を控えている。この時、中国への投資を呼び込むのはタイミング的に合わない。しかしながら、中国当局は自信満々でこの金融市場開放という「最も強力な切り札」を出したのだ。
この決断に2つの狙いがあるだろう。1つ目は、中国の金融市場は依然として大きな潜在的魅力を持っている市場だと内外に示し、「外国人投資家は、このような巨大な市場をほっておくわけがない」と中国当局は思い込んでいる。中国当局は20年前、世界貿易機関(WTO)加盟の際に約束した金融市場の早期開放を全く履行していないのに、今になって「中国は今すでに金持ちになっている。米中関係は悪化しているが、ウォール街のエリートたちは、やっと開放された中国金融市場という『宝の山』に食指を動かすだろう」と信じている。
現在の中国は、住宅価格の高騰、海外投資の増加、世界の至るところに中国人の姿…表面的には、世界最大の人口を有する中国は確かに裕福になったように見える。
「西側の投資家に市場を開放し、一儲けさせてやろう。この絶好の機会を拒む人は絶対にいない。米中関係は明らかに悪くなったが、ウォール街に金儲けのチャンスを与えれば、彼らは必ずこのチャンスを見逃さないだろう。ウォール街が中国投資に再び動き、しかも、ホワイトハウスと米議会に働きかけてくれれば、米中通商協議にしても、香港情勢にしても、こちらの思い通りになる。金融市場の開放は、中国を苦境から救うための策だ」
暴利を貪るためにレバレッジをかけることに長けている中国当局は、こう思っているに違いない。
この打算が正しいかどうかは、次で検証しよう。
外貨準備高への不安
中国当局がなぜ今、金融市場の開放を焦っているのか。これは、当局が実に外貨準備高に不安を感じている。多くの人は、中国が保有する外貨準備高の規模は世界1位で、最近米中貿易交渉が上手くいかず、対米輸出が減っているが、外貨準備高は依然として3兆ドル以上の規模を誇っているため、心配には及ばないと思っている。これは素人の見方だ。
なぜなら、中国当局が持つ外貨準備高の大半は、勝手に使ってはいけないからだ。一般的に、中国は1兆ドル以上の資金を使って米国債を購入するため、当局はこの部分を使いたいとき使えるし、米政府への不満が高まる際、相手をけん制するために一部の米国債を売却すればいいと思われる。事実上、中国にとって米国債の購入というのは、巨額な外貨準備高を「金庫」に入れたようなものだ。
この世の中で、膨大な発行量を有する米国債だけが、中国の外貨準備高を包容できる。しかも米国債は、ある国の政権崩壊または政権交代によって紙くずになる心配もない。中国当局は米国債を買わないで、他国の国債、あるいは国際株式市場に上場する企業の株式を購入すれば、直ちに巨額な損失を被る可能性が高い。たとえば、今米国債から利回りがマイナスになっているドイツ国債に乗り換えれば、中国当局は持ち出しにならなければならないという状況になる。
さらに重要なのは、中国当局は莫大な外貨準備高を保有している一方で、同時に膨大な外貨建て負債を抱えている。まず挙げられるのは、中国の政府、銀行、企業が外国から借りてきた借金だ。今年3月末時点で、この借金規模は1兆9717億ドルに達した。その中の大半(約3分の2)は1~2年の短期債務であるため、償還期限になるとすぐに返済しなければならない。その次に挙げられるのは、外資企業が中国国内に持つ資産だ。外資企業は、収益を本国に送金するのに、いつでも人民元を外貨に両替する必要がある。外貨準備高の約2割は外資企業の投資によるもので、全体の6000億ドル余りを占める。中国当局はここ数年間、外資企業への中国市場撤退阻止を強化してきた。しかし、国際金融市場での信用を損なわないために、中国側は外資企業の撤退と収益の本国送金を想定して、必要な量の外貨を用意しなければならない。当局にとって、以上の2項目を除けば、外貨準備高のうち、残り数千億ドルの資金しか使えない。しかも、その用途がすでに定められている。毎年、海外から原油、食糧、製造業部品など経済活動に必要な物資を輸入しているので、これらに使う外貨の量を保障しなければならない。
以前、中国は毎年、対米貿易で約3千億から4千億ドルの貿易黒字を獲得してきた。これによって、中国の外貨準備高は保たれた。しかし、今後、対米輸出の縮小が予想され、対米貿易黒字による外貨準備高の拡大はなくなるだろう。この数千億ドルの収益が得られなくなると、毎年輸入による外貨需要で、外貨準備高はだんだん減っていくに違いない。以上の分析から、今後2年間内に、外資企業の直接投資によるあの6千億ドルという部分までに食い込んでいくだろう。外資企業はきっとパニックになる。しかし、問題はここにとどまらない。中国当局は今から、米国のような規模の大きい市場をもはや見つけることができないのだ。米市場のおかけで、過去長い間、中国は毎年、数千億ドルの利益を獲得してきた。
中国当局は外貨準備高への不安を解消するために、金融市場を開放するしかないのだ。この策略で、毎年千億ドルの資金を入手できれば、中国当局は少しほっとするはずだ。
西側金融界の冷めた反応
西側諸国の投資家は、中国当局の新政策が「棚からぼたもち」か、それとも「目の前にある大きな罠」かを見極めている。当局が新政策を発表してから1週間以上経ったが、欧米各国が喜んでいる様子はまだない。ブルームバーク、ロイター通信、AFP通信社、フォーブス誌、日本経済新聞など、経済や金融情報を報道する各国の主要メディアの反応は冷静そのものだ。各社は、この新政策について「米中通商協議への対応策だ」と分析。
しかも、ウォール・ストリート・ジャーナルの評論記事は、米国投資家に対して中国当局の新措置に警戒するよう呼び掛けた。
フレイザー・ハウイ(Fraser Howie)氏と英の元外交官のロジャー・ガーサイド(Roger Garside)氏は、「日経アジアレビュー」への寄稿で、ウォール街は米中貿易戦の「新たな戦場」になる可能性があるとの見方を示した。米共和党の大物議員、ルビオ氏はこの少し前、新しい法案を議会に提出したばかりだ。法案は米に上場した中国企業への監督管理強化を目指す内容だ。また、他の政治家も、米の年金基金と他の資産運用企業による中国企業への投資を制限する法案を計画している。
各国のメディアの中で、英紙フィナンシャル・タイムズ中国語版だけが、中国当局の金融市場開放措置について、どっちつかずの煮え切らない評論記事を載せた。執筆者はドイツの商業銀行に勤める中国人アナリストだという。この記事は、今回の新政策は改革の意味合いがあると評価した一方で、将来どうなるのかは楽観視できないとした。
どうして国際金融界は冷めた反応を示したのか。もちろん、中国への不信感が最大の理由であろう。国際金融界は中国経済と金融市場の現状を知っている。中国経済が失速しており、銀行セクターの金融危機も隠れ見えている。今日の中国は、十数年前の「BRICs」と呼ばれた時の中国ではない。今の中国国内の経済状況に、ウォール街のエリートはためらってしまう。カネの欲しさに、中国当局はウォール街のある一つの掟を忘れてしまった。ウォール街は従来、「錦上に花を添える」が、「雪の降る寒い時に炭を送る」ことをしない。つまり、人が困ったときに手助けしないのだ。
その理由は簡単だ。ウォール街は、政府が資金を出す福利厚生の機関でもなければ、民間の寄付で賄われている慈善団体でもない。ウォール街は、顧客の資産を運用し投資活動を行う会社だ。大きな損失が出れば、会社の評判が悪くなって、経営難に陥るかもしれない。だから、リスクのあることに彼らは躊躇する。ウォール街の金融機関にとって、今中国の金融市場に投資しようと思えば、ある「保険を買わなければならない」のだ。この唯一の「保険」は、中国当局が国際ルールに順守するという約束をしてもらうことだ。しかし、中国当局は5月、これまでの米中通商協議で交わした約束を反故したばかりで、中国に約束を守らせるのは難しい。だから、中国金融市場への投資は、前述の経済的リスクのほか、明らかにこのような「鉄砲玉の使い」というリスクもある。
「党統治」の中国
民主主義の国家と全体主義の国家の最大の違いは、法治か党統治かにあると考える。法治の国では、法改正されないかぎり、どの政権も法の下で政治を運営しなければならない。しかし、党統治の国では、指導部の意思と政策が国のすべてを決定しており、政権の安定化が最重要事項のため、憲法も法令も恣意的に改正される。党統治の国は、全世界を支配下に置くことはできないが、その国の中にある外資企業を脅迫することができる。中国に進出したすべての外資企業は永遠に党統治の下にある。この点において、米ウォール街のエリートたちは最も心得ている。中国で新しい金融企業を設立して運営を始めることに、この党統治による不確実性があまりにも大きいと彼らはわかっている。
ルビオ議員が、米上場の中国企業への監督管理強化に関する法案を提出したのは、一部の中国企業が財務諸表や事業展開に関して虚偽報告を行ったことに、ニューヨークの証券管理当局が取り締まれない状況にあるからだ。中国当局は、悪質な詐欺を働くこれらの企業を守ろうとして、企業の財務関連資料を「国家機密だ」とし情報公開を拒んでいるのだ。米投資家の数百億ドルの資金は、このように中国当局に奪取された。
この1年間以上続いた米中貿易交渉において、米側は中国当局に対して、約束した各事項の法令化を再三にわたって求めてきた。これは、米政府が中国共産党政権の下で、唯一可能な制度的なコミットメントであるからだ。党統治の中国では、法令そのものが頼れるものではない。ただ、法改正は政策の変更と比べて、難しくなるだろう。法律は、政策のように、「表向き」と「裏向き」という二面性を持つこともできない。したがって、米政府が中国当局に対して約束を法令化するよう要求したのは、実に中国当局への不信感によるものだと考える。
5月、なぜ中国当局が突然今までの取り決めを撤回したのか。これは、中国当局が米側のこの要求に激怒したからだ。中国政府系メディアは、約束を反故した原因について、米側が「極度な圧力をかけてきた」と説明している。コミットメントの法令化は、中国当局の「容認の限度を超えた」と言えるだろう。つまり、中国当局が怒った理由は、米側が中国の政策的なコミットメントを信じていない上、「これから政策をまたころころ変える」という従来の手段を持ち出そうとする中国当局のずるさを見破った。逆に言えば、中国当局はこの貿易交渉において、「政策的な約束はするが、法整備の約束には応じない」というレッドラインを設けた。これは、「交渉が終われば、政策を変えて、密かにコミットメントを覆すればいい。国際社会がこれを非難すれば、『主権への干渉』と反発すればいい」というのが中国側の打算であろう。
米中通商協議が難航したことは、米政府と中国当局のメンツの問題でもなければ、「主権」をめぐる戦いでもない。国際社会における信用度のテストと言えよう。中国側の約束撤回は「テストの問題用紙を破ってから、試験会場を後にした」というような状況だ。これはウォール街のエリートに衝撃を与えている。米政府が交渉しても、全く良い結果を得られていない。ウォール街の投資家は、金融市場開放という中国当局の新政策が、今後の経済情勢によって、またも中国側の都合で変えられるのではという不安を皆、持っている。「中国にカネを入れるのは簡単だが、中国からカネを出すのは難しい」ことになるかもしれない。
中国当局は、法律を党統治の道具と見なしているだけではなく、国際法をも、もてあそんでいる。当局は、知的財産権保護に関する国際協定に署名したにも関わらず、堂々とそれを踏みにじった。国際海洋法では、満潮時に海面下に沈む礁はどの国の領土でもないと定めている。中国共産党政権は国際裁判所の判決を無視して、無理やり南シナ海の暗礁を埋め立てて軍事基地にした。
今まで、西側諸国の中で、米政府だけがこれらの問題について、はっきりと中国に異議を唱えた。他国の多くは、国際ルールで中国は例外だと諦めている。中国当局が掲げた新しい金融市場開放政策は「内政」に当たり、中国に進出する外国企業は国際法による保証を得られない。中国当局に法律遵守を督促できる国際機関もない。中国側が再び取り決めを覆すとき、ウォール街のエリートたちは途方に暮れるだろう。米中通商協議において、中国に対する信頼がすでに損われているので、新しい金融市場開放政策を信じる人はもういないはずだ。
(文・程暁農、翻訳・張哲)