【漢詩の楽しみ】涼州詞(りょうしゅうし)

葡萄美酒夜光杯

欲飲琵琶馬上催

酔臥沙場君莫笑

古来征戦幾人回

 

 葡萄(ぶどう)の美酒、夜光の杯。飲まんと欲すれば、琵琶(びわ)馬上に催(うなが)す。酔うて沙場に臥(ふ)すとも、君、笑うこと莫かれ。古来(こらい)征戦(せいせん)幾人(いくにん)か回(かえ)る。

 詩に云う。葡萄の美酒を、なみなみと注いだ夜光の杯。それを口に運ぼうとすると、馬上の誰かが琵琶をかきならして、さあ飲め飲めとせきたてる。酔いつぶれて砂の上に伏したって、君よ、私を笑っちゃいけないよ。古来より、遠い戦役に出て、どれだけの人が帰ってきたと言うのだね。

 作者は王翰(おうかん 生没年は不詳)。国語の教科書にも採られているので、数ある漢詩のなかでも、日本人に最もよく知られた一首と言えよう。

 涼州詞とは、この詩につけられた固有の題名ではなく、楽府(がふ)という同類の詩歌の総称的な呼び名の一つである。そのため王翰以外の詩人にも「涼州詞」は多数あるのだが、それらに共通する情感は、長安からはるか遠い涼州(今の甘粛省武威県)の荒涼たる砂漠の風景や、無事に帰還できるか分からない遠征兵士の悲哀といったものが多い。

 そうした観点から、通常通りにこの詩を鑑賞するならば、以下のようになる。

 西方わたりの葡萄の酒。ガラスまたは白玉でつくられた酒杯。馬上でかき鳴らす琵琶の音。周囲は渺茫と広がる砂漠。そうした異国情緒の風景の中にあって、明日をも知れぬ戦場の兵士は、「酒に酔いつぶれても、笑わないでくれ」という哀切きわまる心情を吐露する。

 辺塞詩(へんさいし)というジャンルで呼ばれており、学校の授業でも、大方このように教えられているだろう。それを特に訂正する必要はないが、私はどうも、この詩には別の読解があるように思えてならないのである。

 令和の典拠にもなった『万葉集』は、4千数百首もの古歌を集めた我が国最古の歌集である。そのなかには、周知の通り、西国防衛の兵士として徴集される庶民の悲しみをうたった防人歌(さきもりうた)がある。

 参考までに一例を挙げよう。「唐衣裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母なしにして」。防人として郷里を離れた父親の、母もないまま置いてきた子どもたちを案じる心情が、現代の日本人である私たちにも、痛切に伝わってくるではないか。

 この防人歌のような実感が、王翰の「涼州詞」には感じられないのである。当然ながら、王翰自身は出征兵士ではなく、辺境の地へ行ったこともない。では、実体験ではない兵士の悲しみを、詩人がその想像力によって共感的に詠ずることができるのか。

 端的にいうならば、貧しい庶民に心を寄せてともに涙することは、杜甫にはできるが、王翰には全くできないだろう。王翰という詩人の記録は少ないが、景雲元年(710)に進士となるものの、素行はわるく、美酒と妓女に散財する放蕩三昧の日々であったという。また、そもそも漢詩という文学は、無学無位の庶民が共有できるものではなく、ある一定以上の教養と地位を有する人々に限られた、いわば上流階級のサロン文芸なのである。

 こうした背景に作者の人間性を加味すれば、王翰の涼州詞は、兵士の心情の代弁という形をとりながら、実は「さあ、今宵は大いに飲もう」と酒宴を盛り上げるためにうたった座興の一首ではないかとも想像できるのだ。卓上には珍しいワインも並んでいよう。

 この仮説は、王翰の詩の評価を下げるものではない。そこに宴会があれば、漢詩人は必ずといってよいほど自作の一首を披露する。わが日本でも、酒のすすんだ宴席で、槍と大杯を手に黒田節を舞いうたう陽気な人がいるではないか。それに似ている、と結論づけても大きな間違いはないだろう。

 

(聡)

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