曾子(そうし)は、名が参(しん)で、字(あざな)が神輿(しんよ)といい、春秋時代の魯国(ろこく・現在の中国山東省南部を指す)の人です。彼は父親の會点と共に孔子の優秀な弟子でした。
會子は両親に心から仕えました。
食事をすると、曾子は必ず両親の食事の好みや習慣を細心に観察し、そして、両親の一番の好物をしっかりと覚えました。そのため毎日の三度の食事に、いつも曾子は両親の大好物で、しかも旬のもので、豊かでとてもおいしい心尽くしの料理を用意しました。
曾子はいつも両親が必要としているものを考えて、両親が好むすべての事をいつも心に留めておき、両親の願いを満たすように心がけていました。
父親の會点は聖人の教えから深く影響を受けて、普段から善い行いをしてみなに施し物を与え、いつも郷里の貧しい人に援助の手を差し伸べました。父親のこのような習慣も曾子は、心に深く刻みつけて忘れませんでした。ですから、毎回両親が食事をした後、彼は必ず恭(うやうや)しく父親におうかがいを立て、今回の余った料理を誰にあげるべきかと尋ねました。
曾子は両親に孝養を尽くすだけではなく、普段の生活の中でも自らの言動にも気をつけ、非常に慎重に何事も行い、両親の養育の恩に恥ないように心を配り、そして自分の振る舞いが元で、両親に恥をかかせることのないように、とても気を使っていました。
孔子は曾子が孝行な人だとよく知っていたため、「孝道」の学問を彼に伝授しました。『孝経』の中で、孔子と曾子は一問一答の形式で、孝道のすべてを開示されています。孔子は曾子に必ず孝道を大いに発揚するようにと託しました。そこからしても、曾子の人格や孝心と孝行は人並みではないことがうかがわれます。
曾子は孔子の教戒を受け、一生その通りに行い、孝道に力を尽くしました。彼は自らの言動と節操を持って私たちに「どのようにすれば、孝道を日常生活の中で実行できるか」を教えました。彼は「入則孝、出則弟」(家庭内では父母によく仕え、世間に出ては年長者によく仕え)をやり遂げただけではなく、それに加えて、「謹而信」(慎重に行動することは誠実さにつながる)などもやり遂げました。さらに、孔子に教えられたこれらの徳行を後世に広く伝え、彼の弟子達を多く育成しました。そのため、彼が言い伝えた『孝経』は今日まで、延々と語り継がれています。
(編集・甲斐天海)
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