日本の伝統を守る「東京 青梅きもの博物館」館長に聞く
東京の都心から西に向かって電車で1時間余りの所にある東京都青梅市。ここは東京とは思えないほど豊かな自然が残され、ゆったりとした時間が流れている土地だ。
この青梅の郷に日本の伝統美の象徴である「着物」の博物館「東京 青梅きもの博物館」がある。
築200年にもなる民家の蔵を改造し、近代の着物を中心に収集および展示をしている。緑と水の豊かな自然と調和のとれた風情ある建物は、訪れるだけで和やかな気分になる。
館内には内親王御着用の皇室衣裳、武家・公家・商家着用の江戸時代衣裳など、一般的に着物としてイメージされるものだけでなく、日本の伝統的な衣装の数々も展示している。
日本の伝統美の象徴である「きもの」について、博物館館長の鈴木啓三氏にお話を伺った。
着物の歴史
日本の着物を買いに行く場合、どこへ買いに行くかというと、呉服屋さんです。この「呉服」の「呉」の意味、呉は「呉越同舟」の呉、中国の「呉」の国のことです。呉といえば、中国の上海のすぐそばにある蘇州が刺繍で有名ですが、それが昔の呉の都だったのです。このように大陸から来た文化が、日本の呉服につながっているのです。
青梅着物博物館設立のきっかけは?
私たちの母体は、東京の駒込で駒込和装学院という和装関係の専門学校をやっています。生徒たちに少しでも日本の着物の古い伝統、文様や柄を見てもらおうと思い、収集したのがきっかけです。そこで一般の方にも見てもらいたく思い、このように青梅のほうで、博物館に展示させていただいております。
昔と現代の着物の違いとは?
着物というのは(着る人の)地位だとか位を文様で表していました。そういうものをあらわすのが、文様だったわけです。
例えば当館の展示物にもありますが、土佐・山内家の姫君が着用された小袖には武家の特徴的な文様が、刺繍と染めで表されています。日本の着物はただ美しいから柄が描かれているのではなくて、柄の中には地位や、言葉が隠されているわけです。よく松竹梅などというと、おめでたい柄だと言われていますが、なぜ松竹梅がおめでたいのか、竹というのは、寒い冬でもすくすくと伸び、目上の人にも目下の人にも節をもつ。松は、緑の色が変わりません。つまり心変わりしない、裏切らない。梅は、春に先駆けて一番に咲くので、おめでたいとか。また梅を別名、好文木(こうぶんぼく)というところから、学問の神様である菅原道真、その天満宮には梅の木が植えられています。それもあって、おめでたいと言われてきました。
結婚式に松竹梅が使われたのは江戸時代からです。竹をポンと割り、そこから生まれた「かぐや姫」、つまり竹取物語ですね。竹は子宝を生む。松は「待つ」、梅は「生む」、子供を生むことを待つ。子どもが生まれて、子孫が繁栄するようにというのが松竹梅の意味ですね。ただ美しいから松竹梅が描かれたのではなく、その柄を見ると、子孫が繁栄するというように、日本の着物には一つ一つ意味があるということです。
現代的な世の中にあって、なぜ伝統文化を守るのか?
日本の着物は、日本の文化ですし、人が生活する上で必要な衣食住の中で「衣」が一番上に来るわけです。国の美しさ、風土が柄の中に込められており、その文様一つ一つに、日本の文化、長い歴史の中に培われた気持ちが込められています。だんだんと今の日本の方々は、その柄の意味が分からなくなってきています。父が作ったこの博物館を守り、少しでも日本の伝統文化を後世に残していきたいという気持ちです。
文化とは平和な時代に生まれるもの
やはり文化とは、平和な時代に生まれるものなのですね。日本では、平安時代という約400年の平和な時代が続きましたが、そのとき生まれたのは「源氏物語」「伊勢物語」などの宮廷文学、公家文学でした。
その次に平和な時代が江戸時代ですが、約250年続きました。その時生まれたのは、歌舞伎などをはじめとした民衆の文化です。そういうものが培われたのが江戸時代。
今の皇室の衣装は、約1000年前から続く長い歴史のあるものですが、それは、皇室の即位式などに残っていますし、ひな祭りに飾るおひなさまも、平安時代に生まれた文化が、今に伝わり残っているわけです。
東京 青梅きもの博物館 ホームページ http://www.omekimono.jp/
(牧久恵)