共産主義の親

実はクリスチャンだった カール・マルクス 悪魔への道(上)

世界の社会主義運動に多大なる影響を与えたドイツの思想家カール・マルクスの生誕から5月5日、200年を迎えた。共産主義体制の中国では、マルクス主義は憲法によって真理とされ、国教的な存在とされている。中国共産党は4日、北京の人民大会堂で、党員3000人が参列する式典を開催。習近平主席を含む最高指導部7人も顔をそろえた。

習近平主席は「マルクス主義を生涯かけて学習するように」と列席者に呼び掛けた。共産主義体制になった1949年以後、中国人は小学校入学の時に「共産主義のために命を捧げ、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想に一生涯を貫く」と宣誓させられる。党員が死ぬ時は「マルクスに会いに行く」と形容され、絶命においても、この無神論の思想に束縛される。

マルクス本人は、信仰宗教を「大衆のアヘン」とののしり、無神論者と自称していたとされる。しかし、実は元は敬虔なクリスチャンであり、やがて神を憎むようになり、悪魔信仰を選んでいた。ユダヤ人牧師フォン・リチャード・ウンブランド著の『マルクスとサタン』(1986)が明らかにしている。

同書内容は中国国内でも知られることになり、衝撃を与えた。「悪魔崇拝のマルクスが作り出した共産主義は、もしかして真理ではなく、理想主義の仮面をかぶった悪魔信仰ではないか」-。共産主義を信じる人々を揺るがした。

大紀元メディアグループの中国語週刊誌「新紀元」第200期(2010年11月)は、ウンブランド牧師の著書や時代の証言者の話を引用した記事『カール・マルクス 悪魔への道』を掲載した。その抄訳を上下に分けて紹介したい。

参考:神に助け求める中国高官「マルクス主義は完全失敗」=専門家

カール・マルクス、悪魔への道(上)

アメリカ人のセルジス・リース将軍はカール・マルクスの崇拝者だった。マルクスの死後、彼は英国ロンドンへ渡り、マルクスがかつて住んでいたという家まで足を運んだ。

当時マルクスの家族はすでに引っ越しており、元女中のヘレンさんだけが残っていた。ヘレンさんはマルクスの最期の様子をこう語った。

「彼は神に対して敬虔でした。最期を迎えるころは1人で部屋に閉じこもり、頭に帯を巻いて一列に並んだロウソクに向かって祈りを捧げていました」

セルジスは自分の耳を疑った。無神論のはずのカール・マルクスが誰に祈りを捧げたのだろうか。その怪しげな宗教的儀式とはいったい何だったのだろうか。

裕福な家庭で育った少年マルクス 敬虔なクリスチャン

マルクスは、もともとクリスチャンだった。マルクスの書いた有名な文書『The Union of Believers With Christ According to John 15:1-14,Showing its Basis and Essence,its Absolute Necessity, and its Effects』で、「イエスとの一体とは、緊密かつ活発な友情に身を置き、常に目の前と心の中にイエスがいること」と記していた。

また、17歳のマルクスは高校の卒業文集に、「もしキリストへの信仰がなく、キリストの言葉に従わなければ、人類は道徳を持つこともできず、真理への追求もできないだろう」「イエスだけが我々を救うことができる」と書き残していた。

弁護士だった父親のハインリヒ・マルクスは息子の持つ才能に大いに期待していた。ロルブ・ホール(Rolv Heuer)は、著書『天才と富豪』でマルクスのことを次のように書いた「父親は、カールに毎年700マルクもの仕送りをしていた。当時、年収が300マルクを越える人はほとんどいなかった」

裕福な家庭で育ったマルクスは、やがてキリストの教義に従い敬虔でいることを放棄した。正教の教えを「束縛」ととらえ、感情や欲の開放を選んだ。ちょうどその頃、悪魔信仰がヨーロッパで密かに伝えられいた。享楽に溺れたマルクスは、最終的には、悪魔教の組織に入ることを選ぶ。

悪魔教の儀式に参加したマルクスは18歳だった。ある悪魔教教徒の話では、大学で一度霊的な体験をし、それから熱心な悪魔教信仰者になったという。儀式を通じてマルクスは「自分は悪魔の代弁者だ」と考えるようなった。

若きマルクスが書いた劇曲『オーラネム』には、悪魔教教会で行われる黒ミサが描かれている。『オーラネム』というタイトル自体はキリストの聖なる名の逆さづりであり、黒魔術ではそのような倒置に魔力があるとされる。

『オーラネム』のなかの「演奏者」という詩には、マルクスは自分のことをつづっている。悪魔と誓約をうかがわせる一説だ。

地獄の気が舞い上って、やがて私の脳を満たした
気が狂い、心が完全に変わった この剣を見たか?
闇の大王がそれを私に売った
私のために、彼は拍子を取り、合図をする
私の死のダンスもますます大胆になる

マルクスは大学在学中にジョアンナ・サウスコット(Joana Southcott)主宰の悪魔教に入信した。1837年11月10日、彼は父親へ手紙を送った。

「私は脱皮した。聖なる主が私の体を離れ、新たな主が宿った。私は真の凶暴に占有された。私はこの凶暴な魂を鎮めることができない」

人類の滅亡を目指す悪魔の代弁者

ふたたび劇曲『オーラネム』の台詞を引用したい。

若き我が腕に力が満ち溢れる 凶暴な勢いで 君たち人類を掴んで、そして壊す
暗闇の中、底なし地獄は我々に口を開いた
あなたが落ちて、私は笑ってついて行く
そしてあなたの耳元で、「下で会おう」と囁く

聖書啓示録では底なし地獄について「悪魔そして堕落した天使に用意されたもの」と書かれているが、マルクスは全人類をこの地獄に落とそうとしていた。

オーラネムの死について、マルクスは次のように書いた。「滅亡、滅亡。私の時間が訪れた。時計が止まり、建物も崩れる。私は永久を手に入れ、生命の叫びとともに、全人類に呪いをかける」

才能に溢れた18歳のマルクスは『オーラネム』で自分に決めた人生計画を明確なものにした。人類・無産階級・社会主義などに捧げるのではなく、この世界を壊すこと、社会に動乱・苦痛をもたらすことで、自らの王座を築こうとしていた。

マルクスは詩人ゲーテの『ファウスト』の中の悪魔メフィストフェレスの台詞「すべての存在が壊されるべきだ」を好んでいたという。マルクスにとって、この「すべて」には、無産階級、共産主義のために戦う人々も含まれるが、後のスターリンは自分の家族さえも、この「すべて」として壊した。

親友はみんなサタニスト カール・マルクス悪魔への道(下)につづく

(翻訳編集・張浩)