劉さんが見せてくれた中国の小学校教科書。カバーには母親が息子に赤いスカーフを着ける絵がある。(文亮/大紀元)
7月20日法輪功迫害開始から18年

【インタビュー】18年の雨風(3)父と子

あらすじ:法輪功学習者の劉鋼さん(50・仮名)は、将来を有望視された中国の研究機関勤務の研究員だった。弾圧政策後、日本に来て18年経つ。メディアの中傷、職場での圧力、当時の「嵐のような」迫害を振り返る。


―研究員として、先に妻とともに来日した劉さんでしたが、しばらくして一人息子も日本に呼び、共に生活するようになりました。

「息子は小学校3年生のときに来日しました。最初は慣れない時期もありましたが、そのうち友達もできました。なにせ日本語がまだ下手だったから成績は思うようにならなかったのですが」。

―久々の一家団らんですね。

「うれしかったです。やっと家族3人で食事をすることができました。息子はまだ幼い時に親と離れたから。中国で祖父母と暮らしていた※息子は滅多に親と会えませんでした。私は中国共産党にマークされていましたから帰ることができず、その代わりに妻は年に数回帰国して息子と会いました。涙なしの別れはありませんでした。息子は泣きすぎておう吐したこともありました。とにかく辛い日々でした」。

※注釈 仕事の都合など経済事情で、両親が遠く離れた場所に住み、祖父母が子供を育てるというのは、中国社会では一種の慣例的な家族のあり方

―中国での教育はどうでしたか。

「中国はご存知の通りスパルタ教育です。それでも息子はいつも成績がトップでした。しかし共産党のプロパガンダは小学校一年生からあったため、息子はすぐには考えを転換できませんでした。例えば中国の教科書には日中戦争時の八路軍の活躍を書いた内容があり、実在しない人物の武勇伝が書かれています。息子はそれらを鵜呑みにしていました」。

「また、学校の教育の影響かわかりませんが、息子は当初アメリカに非常に反感を持っていました。朝鮮戦争では北朝鮮が先に攻撃したことを説明しても信じてもらえませんでした。中国では、アメリカが先に北朝鮮に侵攻し、自衛のために人民義勇軍を派遣したことになっているのです」。

小学校二年生の教科書には子供が延安へ行き八路軍に加入する話がある。劉さんの提供。(文亮・大紀元)

―まるで北朝鮮のようですね。

「その通りです。私も小さい頃そのような教育を受けました。共産党の政治宣伝がそこら中にあったから、幼稚園のときにはすでに『打倒』や『闘争』といった漢字が読めました。でも国外に出ると本当のことを知ることができます。息子も日本に来て、共産党が教えていることは間違いだと分かってきました」。

―息子は法輪功についてどう思っていましたか。

「法輪功は悪くないということを知っていました。2003年、息子が中国にいた頃、祖父とタクシーに乗っていた時のことです。息子が祖父に『ねえ、ぼくのお父さんは法輪功をやっているよ』と言いました。祖父は息子を黙らせようと帽子で扇ぐしぐさをしましたが、息子には意味が伝わらず、『ぼくのお父さんは法輪功をやっているよ』と繰り返しました。すると運転手が『坊や、中国ではね、法輪功をやってはいけないこととなっているの』と言ました。幼稚園児が『法輪功』の三文字を口にすることすらはばかれるのだから、中国共産党による迫害がいかに恐ろしいものか分かると思います」。

(聞き手・文亮)

(続く)【インタビュー】18年の雨風(4)共産党員が党を見限る

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