習近平と李克強との関係 腹心か、それとも敵か(2)
中共の国務院総理はどれほどの権利を持っているのか?
中共政権は変異した政治制度であるため、政治体制の権力構造、権力の意義と効能も民主国家と相違する。
民主国家の欧米諸国では、政府官員の権力は国民の監督、法律に制約され、社会と国民に奉仕するためのものだ。官員の権力行使は政府の正常な運営の一部となっている。
しかし中共政権では、官員の権力は既得権益集団や、官員自身が私利を獲得するための道具でありながら、当局が社会や国民を強権支配する道具でもある。このため、権力は中共内部の異なる派閥が必ず争って手に入れたいものとなった。
中共内部において、官員が政治資源をどれほど掌握しているのかによって、その権力の大きさが決まる。「槍杆子里辺出政権」(政権は武力で奪える)を信奉する中共の高官は、最高権力を手に入れるために、まず軍の支配権を掌握する。
軍のほかに「筆杆子(ペンの意・表現や宣伝)」と「刀把子(刀の鞘の意味・人の命を定める権利)」、すなわち思想宣伝(プロパガンダ)系統と、裁判所・検察院・公安局などを管轄する政法系統(情報機関も含めて)もある。
軍、思想宣伝系統と政法系統のこの3つの権力を握ることができたとすれば、中共の主要権力を手に入れたことに等しい。
例えば、第17期中央政治局常務委員をみると、周永康は序列ナンバー9だったにもかかわらず、江沢民の後ろ盾があり、また政法系統と一部の武装警察部隊の支配権を握っていたため、周の実権は序列トップの胡錦涛とほぼ同じだった。
また、現在第18期中央政治局常務委員では、序列ナンバー6の王岐山氏は、序列トップの習近平氏に協力し、積極的に反腐敗キャンペーンを進めているため、その実権は習氏の下で、他の5人の常務委員より上となっている。
では、中共国務院総理はどれほどの実権を持つのか。過去歴代の総理を振り返ってみよう。中共が政権を奪ってから現在まで、7人の総理がいた。
第1代 周恩来 任期1954年~1976年
第2代 華国鋒 任期1976年~1980年
第3代 趙紫陽 任期1980年~1988年
第4代 李鵬 任期1988年~1998年
第5代 朱鎔基 任期1998年~2003年
第6代 温家宝 任期2003年~2013年
第7代 李克強 任期2013年~現在
この7人の総理の中で、唯一、周恩来だけが、一部の軍と情報機関の支配権を握っていた。それでも、周は必ず毛沢東の顔色をうかがっていた。その他の6人は前述の3つの主要権力を掌握することがなかった。
特に、江沢民が国家主席だった時代の朱鎔基氏と後任の温家宝氏の2人の総理に関しては、総理としての実権は一段と少なかった。江沢民が党内最高権力を掌握した後、党内官員らに対して汚職や腐敗を黙認することで、自身と親族を中心とした江派閥勢力を増大してきた。
このため、朱鎔基氏は、勢力の強いこの利益集団に制約され、自身の経済改革や反汚職などは完全に実現できなった。また、前胡錦涛政権では江派閥勢力が依然として強かったため、胡錦涛氏と温家宝氏も江派閥に制約された。
胡錦涛政権では、江沢民の腹心の徐才厚と郭伯雄が軍の支配権を、周永康が政法系統の支配権を、李長春が思想宣伝系統の支配権を握っていたため、胡錦涛の決定が、中国政治中枢の中南海を超えて他地方権力をコントロールさせることが難しかったと言われる。総理の温家宝に関してなお一層難しかっただろう。
したがって、中共の総理は中共内部の執事に過ぎない。党内の3つの主要権力を握る者からの支持がなければ、中共の総理は大いにその権威を発揮することができないとみる。
(つづく)習近平と李克強との関係 腹心か、それとも敵か(3)
(時事評論員・夏小強、翻訳編集・張哲)