テレビで天津市での大爆発事故の報道を見ていたら、天津在住の日本人の「現地より日本の報道の方が早い」という趣旨の発言が紹介されていた。大事故で多くの人が亡くなっているのに、外国の方が被害状況を早く報道している・・・。どうしてこんなことが起こるのだろう?
何清漣氏の『中国の嘘』は、10年前の2005年に日本で発売されている。しかし本書を読めば、なぜ外国の方が自国(中国)より早く報道できるのかが理解できる。それは中国のメディア・コントロールがこの10年前からほとんど変化していない証拠でもある。いや、むしろ共産党が政権を樹立した時にすでに現在の原型があったことが分かる。
長くなるが本文から引用させていただく。
「・・・共産党が政権を樹立してからのマスコミ体制は、旧ソ連の『プラウダ』紙のモデルをそっくりそのまま引き移したものであり、新聞社内の組織構造まで同じで、たとえば社内の各部門の構成なども全てコピーされた。このモデルにはいくつかの特徴がある。第一は社会の実際の状況を無視し、政府の文書通達だけに基づいて新聞が作られることである。(後略) 第二はマスメディアが政府にだけ責任を負い、読者の見方と評価をいっさい尊重しないことである。第三は嘘やでたらめの紋切り型の文章ばかりを掲載し、固定した体裁で報道することである。第四は、こうした宣伝品同様の新聞は、主に市場ではなく、すべての政府機関、事業単位、企業による公費での予約購読で運営されていることである。・・・」
新聞の管理について毛沢東がとったシンプルな方法である「喜ばしいニュースは伝え 悪いニュースは伝えない」が政権樹立以来、現在まで続いていると考えれば、天津での中国における事故報道がどのようなものか想像できる。
本書の中からあと一つ文章を引用させていただきたい。
「・・・2001年の「七・一七南丹鉱山事故」の悲しみが中国人の心からまだ消えやらぬ十二月三〇日、今度は江西省万載県で巨大な爆発事故が発生した。黄茅鎮の爆竹工場の周囲数百メートルは焦土と化し、建物はすべて倒壊した。数キロ以内のガラス窓は全て損傷を受け、鉄の門扉でさえ衝撃で変形した。爆発が起きてから地方政府は全力を挙げて情報の封鎖に努めた。当地の公安(警察)は黄茅鎮へ通じる主要道路をバリケードで封鎖し、記者が現場へ近付くのを阻止した。江西省の現地メディアは事件を全く報道しなかった。新華社は31日早朝になってようやく報道したが、二十人の遺体を収容と報道しただけで行方不明者数はいっさい伝えなかった・・・」
日付や場所を特定しなければ、天津での事故報道かと思う人もいるかもしれない。
共産党の検閲制度の中で記者が使命感から汚職や贈収賄、地方政府の腐敗など真実の報道をしようとすると、暴力・脅迫などさまざまな妨害を受ける。党にとって都合の悪い事件を記事にするだけで「国家機密漏洩罪」に問われ職を失い、無実の罪を着せられ、酷い場合は生命まで失ってしまう。しかし、上部からの指示通りに記事を書けばマスメディアとしての使命を果たせないというジレンマがある。
何清漣氏は、中国の記者たちの受難の実例を詳述し、大方の中国のメディアが共産党の宣伝機関であることを明らかにしている。本の中で、ジャーナリストが自分たちの思いを託したこんな戯れ歌が紹介されている。
俺は党の番犬さ 党の大門でうずくまり
誰それを咬めと言われれば そいつに咬みつき
何回 咬めと言われれば 言われた回数だけ咬みつくのさ
本書では「メディア従事者への政治教育と思想統制」「なんでもありの国家機密」「情報封鎖と偽情報作り」「中国における外国人ジャーナリスト」「中国政府のインターネット規制」など興味深い項目を、実例を挙げて解説している。500ページ近い大著だが一気に読ませる。
【大紀元の記事から】
何清漣氏新著「中国の嘘――恐るべきメディアコントロールの実態」台湾で発刊
書名
『中国の嘘』
恐るべきメディア・コントロールの実態
著者
何清漣
出版社
扶桑社
価格
2,000円(本体) 2005年5月刊
商品コード
9784594048761
サイズ B6判
ページ数 486p
(佐吉)
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