【儒家故事】 聖人の勇気

【大紀元日本10月2日】古代、中国ではどういう人物が勇士と呼ばれたのか。山奥で虎を捕獲できる人、海で竜を生け捕りする人、戦場で砲火を恐れない人、義侠心のある人。しかし、孔子が指す勇士とは、それらの人物像とは違う。

孔子の弟子の子路は、もっとも性格が粗野で、勇気と力を崇める人物だった。弱い者いじめを見たら憤り、剣を抜いて助けに入るほどだった。

ある時、孔子は弟子たちに、それぞれの志について尋ねた。子路は兵を率いて、必ず敵陣の攻撃を退けてやると答えた。しかし、孔子は子路が勇ましい人物ではあるが、儒学の勇気の真諦を掴んでいないと考えた。

孔子の言う儒学の勇気の真諦とは、一体何か。孔子は、勇気にも異なる次元があると考えた。漁師の勇気や、猟師の勇気、烈士の勇気があれば、聖人の勇気もある。孔子が言う儒学最高の勇気は、聖人の勇気を指すのである。

これは《孔子集語・雑事》に記載された物語である。ある日、孔子は弟子の子路と一緒に山登りに出かけた。途中、孔子は喉が渇き、子路に水汲みに行かせた。子路は水汲み先で虎に遭い、命がけで闘い、虎のしっぽを戦利品として持ち帰った。子路は満足そうにしっぽを持って戻って来くると、孔子に聞いた。

子路:「上士は虎をやっつけた時、何を取りますか?」
孔子:「虎の頭を取る」
子路:「中士は何を取りますか?」
孔子:「虎の耳を取る」
子路:「下士は?」
孔子:「虎のしっぽを取る」

子路は孔子の話を聞いて、自分は命がけで虎と闘い、死にそうになったのに、下士と言われて悔しくなった。子路は虎のしっぽを捨て、代わりに石台を拾って戻ってきた。虎がいることを知っていながら、孔子がわざと水汲みに行かせて、自分を殺そうとしたのだと思い、石台で孔子を殺そうとしたのだ。子路はまた孔子に聞いた。

子路:「上士は人を殺す時、何を使いますか?」
孔子:「筆を使う」
子路:「中士は何を使いますか?」
孔子:「言葉を使う」
子路:「下士は?」
孔子:「石台を使う」

昔の人は士人を上・中・下の三つのレベルに分けた。事が起これば、上等の士人は文章で攻め、「筆」で問題を解決し、中等の士人は口を動かし、言論で問題を解決し、下等の士人だけが武力で解決する。つまり武力で人を服従させるのは、ただの下等の士人であり、本当の勇士ではないのである。子路は、自分が孔子を殺したとしても下士であることには変わらず、決して下士になってはいけないと悟り、こっそりと石台を捨てた。

孔子が匡城を通った時のことである。陽虎という人物に恨みを抱いていた匡城人は、陽虎に似ている孔子を陽虎と勘違いし、彼を殺そうと宿を取り囲んだ。しかし、孔子は琴を弾きながら歌を歌い続けた。子路は不思議に思い、なぜこんな危険な状況の中で演奏するのかと、理由を聞いた。孔子は答えた。「海に竜がいたとしても漁に出るのは漁師の勇気であり、山中に虎がいたとしても猟をするのは猟師の勇気であり、刃物を突き付けられても死を恐れないのは烈士の勇気である。苦境に立った時はそれが運命だと知り、物事がスムーズに運ぶには時の運があると知り、大災難が降りかかっても恐れないのは聖人の勇気である」。孔子は、子路に天命を静観するよう勧めたのである。しばらくすると、匡城人は勘違いしていたことを知り、謝罪した。

聖人の勇気とは一体何であろうか。天命を知り、天命に従い、危険が迫っても恐れない心。どんなに厳しい状況に置かれても、平然と構える姿勢、天命を静観する態度である。聖人の勇気を持っていた孔子は難を逃れ、顔色ひとつ変えず敵を味方にし、危険を無事に乗り越えたのである。

聖人の勇気とは、武力を振舞わなくとも威力がある。それは、まさに天道に従っているからである。儒家は、天は徳のある人を助けると説く。聖人は徳が天に昇るほど大きく、必ず天に護られる。聖人は求めずとも成功し、武力を振舞わずとも威力があり、戦わずとも敵を屈伏させ、人徳で天下を治めるのだ。

(翻訳編集・蘭因)