【漢詩の楽しみ】 常 娥(じょうが)

【大紀元日本7月28日】

雲母屏風燭影深
長河漸落暁星沈
常娥応悔偸霊薬
碧海青天夜夜心

雲母(うんも)の屏風(へいふう)、燭影(しょくえい)深し。長河(ちょうが)漸(ようや)く落ちて、暁星(ぎょうせい)沈む。常娥、応(まさ)に悔(く)ゆべし霊薬(れいやく)を偸(ぬす)みしを。碧海(へきかい)青天、夜夜(よよ)の心。

詩に云う。きらびやかで美しい雲母のびょうぶに灯火が深く映っている。夜がふけるにつれ天の川はだんだんと傾いて落ち、やがて白みかけた空には、明け方の星も消えようとしている。あの常娥は、仙薬を飲み、月世界へ飛んでいったことを、さぞや悔やんでいるだろう。みどりの海原、青い空、それを毎夜の心に思いながら。

晩唐の詩人、李商隠(りしょういん、813~858)の作。

常娥は、嫦娥とも書く。『淮南子(えなんじ)』に見られる神話上の女性で、夫である羿(げい)が西王母からもらった不老不死の仙薬をこっそり飲んでしまったために、身体が軽くなって浮き上がり、心ならずも夫と別れて月世界まで飛んでいってしまったという。

この一首は、漢詩研究者の間でも難解な詩のひとつに数えられる。

作者が女性の身に仮託して、愛する男の来訪を一夜待ちわびて裏切られた心情を詠ったとする説や、恋人が他の高位の男性のもとへ行ってしまった作者自身の悲嘆を暗示しているとする説、あるいは亡くなった作者の妻をモチーフにしているとする説など枚挙に暇がない。

あくまでも鑑賞の一例として、以下に述べる。

雲母をちりばめた屏風のある部屋といえば女性の寝室であろう。ともした燭光が深く印象に残るほど、女性はひたすら愛する男性の訪れを待っている。しかし来ない。やがて白々と夜が明け、星も消えた。

その悲しみは耐え難いが、それでも夫と別れて月へ去ってしまった常娥の後悔よりはましである。常娥は、もう夫のいる地上には戻れないのだから。

(聡)