「一日千里」(いちじつせんり)【1分で読める故事成語】

一日千里」という故事成語は『荘子‧秋水』に由来し、急速な進歩や発展を表現しています。

伝説によると、暴れ馬を走らせるのが得意だった造父という人がいたそうです。彼は西周王朝の穆王(ぼくおう)のために8頭の良い馬を見つけました。穆王は、手に入れたこれらの馬を「八駿」と名付けました。そして造父に、8頭の馬すべてを一つの馬車につなぎ、西の果てまで旅する準備をするようにと言ったのです。

ある日、穆王は国政を信頼できる大臣たちに任せ、造父の運転する馬車に乗り込み、西方へ向けて出発しました。8頭の馬は蹄を広げて大喜びで走りました。左右の景色がどんどん後退していき、彼らは崑崙山の麓にある西王母の国にやってきました。

西王母が穆王に同行し、国内の名所を巡って楽しんでいるうちに1ヵ月が過ぎました。ある晩、造父が汗だくの武士を引き連れながら、密書を携えてやってきました。実は、東国の徐の王が、長い間皇帝が都を離れていることを知り、この機に乗じて謀反を起こしたのです。穆王は直ちに造父に命じて馬車を用意させ、すぐさま東方へ向けて出発しました。

穆王が名残惜しげに西王母の方に目をやっているのを見た造父は、穆王が心変わりするのではないかと恐れ、鞭を振り上げて八駿に鋭い一撃を加えると、八駿は蹄を広げて一日千里の速さで東に疾走し、たったの3日で鎬京(こうけい)に戻りました。

徐の王は天子が都に戻り、自ら戦いに来たのを見ると、取り乱し、混乱の中で敗れ、死んでしまいました。

(翻訳・神谷一真)

唐蓮