何清漣:中国人最後の面子が崩壊した楊武事件
【大紀元日本11月22日】最近中国で注目されている「楊武事件」(訳者注・広東省深セン市在住の楊武が、目の前で警備隊員の楊喜利に強姦されていた妻を助けなかった。この一件がメディアに報道され、中国全土を震撼させた)。楊武のひ弱さが各メディアの取材の焦点になっており、人々はメディア報道の「倫理のガイドライン」も議論し始め、熱い討論を醸し出している。殺到する各種の非難や同情、反省について、私は、楊武のいくじのなさに国民の堪忍袋の緒が切れたと言うよりも、楊武事件を通して人々は堪え難い社会土壌と生存環境に気づいたからだと思う。事実上、強権と暴力の前で、楊武のように行動してしまう卑怯者は多数おり、楊喜利同様、些細な権力を濫用して虎の威を借る狐のようになる者も大勢いる。中国国民で、このどちらかに属する者は少なくない。また、両方の特徴を持つ人もいる。自分の目の前で妻が悪人に強姦された。人間の最低限の尊厳を著しく踏みにじる事件を通して、楊武の卑怯さと意気地のなさがインターネットとメディアによって徹底的に公に暴露された。彼の不幸はまさにここにある。
中国人の尊厳はどのようにして喪失されていったのか
楊武事件は人間の尊厳に関わっている。しかも、人間として人間でいられるための最低限の尊厳だ。楊武に対して、私は「彼の不幸を悲しく思うと同時に、彼のひ弱さに怒りを覚える」としか語れない。人々が無数の理由を挙げて彼に理解を示し同情を寄せたとしても、2時間にわたり妻が目の前で強姦されていたのを無視し、何も行動を起こさずに完全に妻を裏切った事実は動かせない。自分が持ち合わせていた最後の微かの尊厳を捨ててしまった。強姦した警備隊員の楊喜利のような人間は、古来から現在までいつの時代にも生息しているが、現在の共産党時代においてとりわけ多い。この点について、私はずっと前から、「エリートがならず者化し、下流社会はごろつき化した」と説明してきた。