何清漣:中国政府から見た艾未未の「罪」

【大紀元日本4月17日】艾未未(アイ・ウェイウェイ)氏の国際的な名声は、ついに彼に「好都合」をもたらすことになった。すなわち4月6日と7日、中国国営の新華社と中国外交部(日本の外務省に相当)の洪磊報道官が相次いで声明を発表するという中国政府の「破格の待遇」により、同氏の失踪に対して説明がなされたのである。それによると、艾未未氏は「経済犯罪」の嫌疑によって、現在、公安の関係機関により法律に基づいて調査がなされているという。

読者諸氏に、お考えいただきたい。遠い過去はともかく、最近の2カ月ばかりに失踪した「多くの人(訳注、中国政府に不都合な人物などを指す)」の中で、今回の艾未未氏ほど「破格の待遇」を受けた人物がいたであろうか。なにしろ彼一人のことで、『環球時報』(訳注、中国共産党機関紙「人民日報」傘下のメディア)が社説を出し、新華社が消息を伝え、その上、中国外交部の記者会見で話題に挙げられたのだ。

「多くの人」が連行された後、中国政府は、彼らがどのような状態に置かれているかを口にするのも億劫がっていたくせに、この艾未未氏については、意外にも複数の関係機関が発表したことによって、彼がまさに中国政府の掌中にあるということが確認された。これはすでに西側諸国に対して、大きく面子を失ったことになる。結局のところ、拘束した人物がどこに収容されているかということだが、これは本来「国家機密」であるのだから、どうして外国人へそれを漏らすことができようか。

艾未未氏にどんな「罪名」をつけるかについては、中国政府は何の躊躇もなく、即時に「経済犯罪」という基本方向を決めた。また、艾未未氏自身が早期に発表した全く「お遊び」的な作品、および昨年「ザ・ニューヨーカー(The New Yorker、1925年創刊の米週刊誌)」の記者に同氏が率直に述べたことだが、彼には未婚の女性との間にできた子供がいる事実を、中国政府がスキャンダル的に取り上げたのは、まるで艾未未氏を人格の上から謀殺しようとしているようだった。

その実、もしも当局が、本気で自分たちの官僚と「臣民(訳注、ここでは不正官僚による汚職の取引相手を指す)」による「経済犯罪」について言及するならば、この艾未未氏のケースを判断の「標準」とすると、中国の官僚のうち99%が逮捕されて有罪となるであろう。しかも、彼らの罪状は、同氏のそれよりもはるかに重いものとなるはずだ。有毒食品の製造に与するなどの「正当な経済犯罪」に比較すれば、艾未未氏が制作した「鉛入り瓜子(訳注、瓜子は向点xun_ィの種などで作る、中国人の日常的な菓子。クヮズ)」など犯罪とは言えまい。彼は、この「瓜子」を食品として売ったことなどない。売値は艾未未氏が決めた価格ではあるが、買い手は(鉛入りを承知で)欲しいと希望して受け取るので、さほど違法行為に当たるものではないだろう。

艾未未氏の行為が、いわゆる「経済犯罪」に当たるという当局の言は、ただ単に、西側諸国の口をふさぎ、同氏が逮捕拘束されたことを人権や政治の問題に結びつけさせないためのものに他ならない。『環球時報』は、早々と次のように言っている。艾未未氏の拘束に関して、西側諸国は「簡単な案件を、故意に、国家の政治ひいては国際政治の舞台へ投げ込もうとしている」と。

もしも当局が、艾未未氏の裸体写真(訳注、艾未未自身が全裸になって表現した写真アート「草泥馬擋中央(草泥馬が中央に立ちはだかる)」のこと。草泥馬は隠語で、非常に口汚い罵語。擋中央は党中央と同音。作品のタイトルが中国共産党を罵倒する意味に直結している)が風紀良俗を乱すというならば、それは口先だけのことに過ぎないだろう。当局が本気でそれらを取り締まるつもりならば、中国国内のネット上にあふれている子供に適切でない色情的な広告を「寛容」に許すことはしないはずだ。当局が気にかけているのは、それらではなく、ただ「草泥馬擋中央」だけなのである。当局は、艾未未氏に未婚の女性との間に子供がいることなどは、実は全く意に介していないのだ。さもなければ当局が、ここでまた汚職に手を染めさらに私生児をつくったことで堕ちた何人かの「落馬」官僚を、(見せしめのために)引っ張り出すなどということはしないからだ。(訳注、当局は艾未未氏の「草泥馬擋中央」を最も嫌っているが、それだけを理由に同氏を拘束できないので、他の理由を設ける伏線として不道徳官僚を引っ張り出したのである)

結局のところ、当局は艾未未氏の何が気に入らないのか。その答えは、「敵に対しては、秋風が木の葉を散らすように無情である」という中国共産党の闘争精神を熟知すれば、自ずから見えてくる。つまり当局にとっては、同氏が権力に対して「からかい」の態度で示してくる挑戦が、最も不愉快なのである。2008年から始められた「北京五輪安全保障モデル」の苛烈な管制の下で、権力に対する批判の声はますます弱められていった。そこに登場したのが艾未未氏であった。彼は、死んだ溜まり水のようだった中国に、少しばかり波風を立てた。さらに、彼独特の方法が、「80後(パーリンホウ、80年代に生まれた若者層)」がもつネット上で悪態をつくという彼らの特色に、ぴたりと符合した。そのため、月が周りの星を従えるように、艾未未氏の後に多くの若者たちが追随していったのである。

艾未未氏は、従来のような体制批判者とは全く異なっていた。従来の批判者は、基本的には厳粛で真面目な様相を表しているが、言うならば「第二の忠誠心」から批判したり諫言したりする者ばかりであり、所詮は、社会主義と共産党という政治体制の上において批判をするか、または表面的には批判するけれども結局は「終南捷径(栄達への近道をとること。唐の蘆蔵用が終南山に隠居した後に栄達した故事による)」の方式で体制内に入ってしまうのである。しかし艾未未氏は、そうではなかった。彼は、今までにない、政治上の明確かつ系統的な表現を行ったのである。

艾未未氏は、権力を前にしての認識も批判も、その多くは彼の人間性から出発している。加えてあの性格から発する牽引力である。馮小剛(中国の映画監督)は艾未未氏を「秩序を破壊する衝動にかられる男」と称し、米紙「ワシントン・ポスト」は彼を「いたずらっ子」と名付けた。では『環球時報』の社説はと言えば、真面目くさった口ぶりで「(艾未未は)法律すれすれの活動が好きな男」と呼んでいる。艾未未氏は、権力に対して、一種の新境地を開くような「からかい」の態度を保持し続けている。中国社会は、杓子定規で、平凡な特性を崇拝することによって、これまでずっとエセ道学の「偽君子(偽善者)」を山ほど産出してきたが、この艾未未氏の「からかい」の世界は、過去にそれをなしえた先人はなく、またこれから先もしばらくは、このような後継者は出ないと言ってよいだろう。

例えば、艾未未氏の「草泥馬擋中央」という「からかい」の作品は、中国人を大いに笑わせて止まなかったが、中国政府にしてみれば、そのパフォーマンスだけで怒りは頂点に達したのである。しかし、そのことで艾未未氏を「打ち首」にすることもできない。なぜならば、それをすると中国政府の度量の狭さが露呈してしまうとともに、この見た目の真面目そうでない一人の芸術家を、赫々たる政権政党の「好敵手」に仕立ててしまうことは、さすがに躊躇されたからである。

中国政府が艾未未氏にとった対応は、何ともばつが悪いものであった。とうとう最近の『環球時報』では、「何にしても、このような人間に対応することについては、中国社会は経験も少なく、法律の判例も少ない」とまでこぼしていたのだ。

しかし、私はこう見ている。中国政府は、再び恣意的ででたらめなことをしたとしても、もう今後は、このような「政府をからかう罪」を叩いて防ぐ法律や法規を政府が持ち出すことはないだろう。それをすれば、面子丸つぶれとなり、それは自ら執政者としての尊厳を有しないことを認めるに等しいからである。

艾未未氏は、このように新境地を開いた。つまり、中国国内の追随者を引き付けるとともに、海外の大量のメディアをも引き付けたのである。彼は、この数年来、中国において体制に異議を唱える運動の標識となり、またその「魂」となった。この運動には綱領もなく、計画もない。言いたいことがあれば、一種の挑戦的な「からかい」のスタイルをもって、時下の体制の醜態に対してズバリと指摘するのである。このような「からかい」は、まだこの政権政党を転覆させてはいないが、中国共産党が自ら崇めていた「神聖さ」を消滅させるに足るものとなった。

艾未未氏が出現した時、私はこんなことを考えた。彼は、かつて誰も歩んだことのないこの道を、一体どこまで進むことができるのか。それはもちろん、彼自身が決めるのではなく、ただ彼が存在するこの国家をとりまく内外の大きな環境が決めることになるだろう。中国の国際的な影響力が大きいうちは、まだしばらくは国家を保つこともできるが、その前提となるのは、中国政府が自身の政治の安定に対して、どのように判断するかにかかっているということである。

中国政府に統治への強い自信がまだあった時には、中国はいわゆる「国際的イメージ」の上にあった。この時には、確かに中国の国際的な影響力が、政権の保持に一定の作用を果たしていただろう。しかし今年、北アフリカの独裁者たちの王冠が次々と地に落ちる事態となって、中国政府は政治的危機が間近に迫っていることを感じている。この時期に至って、中国の「国際的イメージ」の重要性は大きく下落し、政権の安定こそが第一の、いや唯一の必要事項となったのだ。更には、国際社会がリビアに対して関与する上での躊躇ぶりと力加減から、中国政府は今、西側諸国のリビアに対する干渉の思惑と能力を探っているのである。

艾未未氏は、ネットユーザーの間では親しみを込めて「艾神」などと呼ばれているが、彼は神ではなく、ただの人間である。一人の艾未未に中国を救うことはできない。まさに彼が言った通り、一人ひとりが自分の担えるだけの分を担って欲しいのだ。

もしも13億の中国人が、もはや太陽に顔を向けるヒマワリにならず、独立自在の人となったならば、艾未未氏の特殊な独行も再び「罪状」にされることはなく、彼もまた、人間の肉体に「神の功能」を持たなくてもすむであろう。

(翻訳編集・牧)
関連記事
2023年5月25日に掲載した記事を再掲載 若者を中心に検挙者数が急増する「大麻」(マリファナ)。近日、カナダ […]
中国共産党が7月に反スパイ法を改正し、邦人の拘束が相次ぐなか、外務省が発表する渡航危険レベルは「ゼロ」のままだ。外交関係者は邦人の安全をどのように見ているのか。長年中国に携わってきたベテランの元外交官から話を伺った。
日中戦争の勝利は中華民国の歴史的功績であるが、これは連合国の支援を受けた辛勝であった。中華民国は単独で日本に勝利したのではなく、第二次世界大戦における連合国の一員として戦ったのである。このため、ソ連は中国で大きな利益を得、中共を支援して成長させた。これが1949年の中共建国の基礎となった。
香港では「国家安全法」を導入したことで、国際金融センターとしての地位は急速に他の都市に取って代わられつつある。一方、1980年代に「アジアの金融センター」の名声を得た日本は、現在の状況を「アジアの金融センター」の地位を取り戻す好機と捉えている。
米空母、台湾防衛態勢に 1月29日、沖縄周辺海域で日米共同訓練が挙行された。日本からはヘリコプター空母いせが参 […]