元「中国歌王」:共産党賛美の歌はもう歌わない

【大紀元日本2月14日】1944年、中国内陸部の山西省長治で関貴敏氏は生まれた。

テノール歌手で80年代を中心に活躍。伸びやかな高音域と、西洋歌曲と民族歌謡の歌唱法を融合させた独特の歌の世界は、同氏の右に出るものはない。数多くの映画やテレビドラマの主題歌を歌うなど、中国国家一級演員の称号を持ち、「中国歌王」と称されて多くの中国人から愛された国民的歌手であった。

時代的制約もあって、早くから音楽教育を受けられる環境にあったわけではなく、地元の学校を卒業して労働者となった後は、長く余暇の楽しみとして歌を愛好していた。

もちろん天性の歌声は、同氏をこのままにしてはおかなかった。72年ごろから音楽方面の専門的な準備を始め、78年に北京中央電影楽団に入団。中国音楽学院オペラ科を卒業した後は、中国の歌謡界、映画界で引っ張り凧の存在となる。

しかし、そのような過去の「栄光」を並べて紹介することは、同氏の本意とするところではない。その多くは避けられなかった職務であったとしても、中国共産党の意向に沿った文化政策のなかで進められたものばかりであった。

現在アメリカ在住、神韻芸術団に所属し、神韻国際芸術団の副団長を務める関貴敏氏。

中国大陸時代の関貴敏氏を知る熱心なファンが、当時の歌をまた聞きたいと願っていることは同氏自身が十分に承知している。しかし同氏は「昔の歌はもう歌わない」と断言する。 

その理由について、同氏は次のように述べる。

「当時の歌は、表面的には見えなくても全て政治的な背景があり、どれも中国共産党を賛美するものばかりでした。もしも当時の歌を今の私が歌ったら、それはナチスを賛美するに等しいことなのです」

関貴敏氏がまだ中国にいた頃のことである。83年にB型肝炎を発症、やがて肝硬変へと進んで健康状態は非常に悪化した。医師からは、歌手を辞めて治療に専念するよう勧められたが、歌を諦めることはできなかった。長い間、北京の著名な大学病院を尋ねたり、漢方治療やいろいろな気功治療も試してみたが、病状は一向に改善されなかった。

96年の旧正月の頃、知人の紹介により法輪功(ファルンゴン)という気功修煉法に出会う。この修煉を通じて、同氏の健康状態は劇的に回復。同じ年の4月にアメリカへ移住する。

中国共産党による、大規模で凄惨な法輪功弾圧が始まったのは99年7月からである。それは中国国内だけでなく、アメリカにいる「大物」関貴敏氏の周辺にも中共の特務が送られ、身辺の監視とともに、法輪功を放棄させるため、タイヤをパンクさせるなどのさまざまな嫌がらせ工作がおこなわれた。

あるとき同氏は、中国国家安全部を名乗る相手から「お前はすでに重点教化の対象になっているぞ」という脅迫電話を受けたという。もちろん同氏は、これを一笑に付した。

神韻芸術団テノール歌手・関貴敏氏の歌は、いささかも揺るがず、全世界に純善・純美を届けている。

(牧)
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