【伝統を受け継ぐ】 京の手描き扇子「絵師の店」

【大紀元日本11月29日】京都の台所と呼ばれる「錦市場」。京料理の食材は何でも手に入るといわれるだけあって、野菜、海産物、その加工品を商う店が狭い通りにずらりと並ぶ。いかにも京都らしい食器、調理用品、台所には縁のなさそうな和風小物店などもちらほらと目につく。手描き扇子屋「絵師の店」はその市場通りにある錦小路の東詰めにひっそりと建つ。

京都の扇子作りは、平安時代にさかのぼる。以来、京都は常に扇子作りの中心地であった。現在も国内製の扇子は90パーセントが京都で作られる。とはいえ、時代の変遷、人々の生活スタイルの変化で、高度成長期に200軒以上あった京都の扇子屋も現在では半数以下になっている。

扇子は最初、奈良時代宮中の男子が記録のために用いた薄い木の短冊「木簡」の一方の端を綴じて携帯したものだったという。その後、上絵や房などの装飾を施し、女性にとっても必携のアクセサリーとなっていく。平安時代には、竹製の扇骨に紙を貼る現在の扇子の形に近いものが作られるようになった。その用途も涼をとるだけではなく、和歌や花を載せて贈るコミュニケーションの道具や、顔や口元を隠すための携帯品、舞や芸能の小道具、儀礼用など多岐にわたった。鎌倉時代には京の扇子が中国に輸出され、インドやヨーロッパ方面へも伝えられたという。

絵師の店の扇子(写真=大紀元)

京都の扇子について、錦小路「絵師の店」の滝恵一さん(70)に話を聞いた。「絵師の店」は創業4年、200年~300年の歴史を誇る老舗の多い京都にあっては異例の新しさである。これだけ老舗の多い京都で新規に店を開く理由を聞くと、「うちは他の店とは違うのです。手描き扇子専門の店はここだけです」と滝さんは言う。

滝さんの専門はデザインで、大手衣料メーカーで10年間商品開発・企画の仕事を担当した。その後、インテリアデザイナーとして商業デザインの仕事に携わった。その滝さんが京扇子と出会ったのは6年前のことだ。市内六角通りにある200年近い歴史を持つ老舗が、伝統ある扇子を現代的な魅力ある商品に開発しようと模索していた。伝統的な扇子の上絵には、決まりものとして約束事がある。例えば男物の絵柄に「筏流し」があるが、「今どきの若者にはそれが何の絵なのか、分かりませんよ」と滝さんは話す。そこで、老舗の当主から商品開発の方法について相談を受けたのが滝さんだった。自分で扇子の上絵描きを手掛けることになるきっかけとなった。

「絵師の店」の扇子は一風趣が違う。黒地に赤い唐辛子が浮かんでいるもの、暗い背景に銀色のトンボが飛んでいるもの、洋花が大胆に配置されているものなど、どれも魅力的だ。上絵は8人の個性的な絵師が描く。インテリアデザイナー、友禅染の絵師、プリント服地のデザイナーなど伝統的な京扇子とは縁のなかったアーティストたちだ。彼らは決まりごとにとらわれず、自由な発想で描いていく。

斬新な意匠に品格を与えているもの、それは古くから伝わる扇作りの技術。扇子が出来上がるには20の工程を経る。すべて昔ながらの手仕事だ。竹を削って扇の骨組みを作り、薄紙と和紙を張り合わせて地紙を作る。地紙を折りたたみ、それに扇骨を差し入れて仕上げる。竹を削って磨きをかけるといった工程ごとの専門の職人がいる。職人の丁寧な仕事が京扇子特有の光沢を生み出すという。

京都はいつの時代も文化の発信地。常に斬新で時代を先取りするものを作ってきたといわれる。長い伝統が培ってきた確かな技術と伝統にとらわれない自由な発想による上絵のコラボレーション、これが新しい京扇子誕生に繋がった。

 

扇骨と地紙をサッサと振りながら素早く扇子の先を地紙に差し込んで仕上げをする野口さん夫婦(写真=大紀元)

竹製の扇骨と折りたたんだ地紙(写真=大紀元)

(温)