【大紀元日本7月19日】国際結婚、異文化の狭間での子育てというのは、まさにケースバイケースだ。周りにあわせようにも周りがない。与えられた環境でベストを尽くしていくしかない。このベストとは何かを判断する材料に、情報交換は欠かせない。というわけで、私の日本滞在は、いつも大変な長電話を伴う。主婦のゴシップというのは、次世代の成長に欠かせない大きな役割を果たしている。
日本では、日本人男性とイギリス人女性のカップルで一人娘のいる家族と交流していた。一般にレディーファーストで育った欧米の女性と、男尊女卑の文化を背景とする東洋系の男性との結婚生活は、難しいようで、ある夫婦などは、日本人の夫がいつも部屋に先に入るのにカチンときていて、「私が譲らなかったらどうするんだろう」とレディーファーストの習慣に則って部屋に入ろうとしたら、扉口でドカーンとぶつかり、夫に「何やってるんだ!」と頭ごなしで怒鳴られた、という話を聞いた。この夫婦は別れた。
でも我々の交流していた夫婦は、日本人の夫も我慢強く、イギリス人の奥さんも日本の社会の文句こそ言え、たくましく生き抜いていた。
サラリーマンと結婚した彼女は見事な草分けだった。日本人社会で娘を英語で育てていた。9月から始業するイギリスは、小学校の卒業、中学の入学時期が、日本に比べて7ヶ月早くなる。この差を利用して、一人娘をイギリスの中学に送り込み、半年、寮生活をさせた。しかし、折からの不況で、イギリスの私立学校で週末も寮に入っている子は娘一人ということを知り、あわてて連れ戻したという。でも英語力は抜群に伸びたとのコメントだった。
その後、日本の公立の中学に通い、高校は、近所だが寮生活のできる日本では珍しい学校に送ったという。後日、娘さん本人がイギリスに遊びに来た時、「あの時は本当に楽しかった」と語ってくれた。イギリス人のお母さんは、日本人社会に合うように子育てはできない。思い切ってどっぷりと日本人社会に浸かったことは、彼女のアイデンティティー確立に大きなプラスになったようだ。
最近知り合った人で、日本の小学校と中学校を終了してから、一人でイギリスの祖母の家に送り込まれ、高校に通ったが、どうしても馴染めなかったという話を聞いた。
7歳から14歳の間に、どこに居住していたかで、本人のアイデンティティーが決まるという説を読んだことがあるが、これは大切なガイダンスだと思う。 自分で選んだわけでなく、異文化の狭間に置かれてしまった子供たち。他人がうらやむことをよそに、根なし草になってしまった心の空洞。もし、そんなバックグラウンドの人を見つけたら、暖かく見守って欲しい。
著者プロフィール:
1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。
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