【大紀元日本6月15日】およそ5千年もの間、広大な土地を舞台に歴史を繰り広げてきた中国。多くの大人物を輩出したが、その中でも特にアメリカの教科書で「歴史上、有名な人物」と記載された中国人がいる。
その名は、陶淵明(とう・ えんめい)と楊玉環(よう・ぎょくかん)、李自成(り・じせい)の3人だ。アメリカ人の視点から選出されたこの3人を見ると、同国の価値観がだいぶ中国人のそれと違うことが伺える。
1)文学者で有名な陶淵明(とう・えんめい)
教科書『世界社会の歴史』(マッキー著)の中で、一番有名な人物として選ばれたのは、中国南朝晋末から宋の時代を生きた文学者・陶淵明である。
選ばれた理由は、「上流生活を送りながらその影響を受けることなく、汚れがないから」というもの。陶淵明は士大夫階層(知識階級)の人たちと交際が深く、彼らと一緒に酒を飲んだり詩を詠んだりする一方、後年は隠遁生活を続けた。陶淵明の作品から、「彼がシンプルな田園生活に非常に満足しており、このような生活をユートピアとしていたことが十分に伺える」と述べ、出身と家柄が重視された中国魏晋の南北朝時代に、「陶淵明は超然と自然を求めた」と評価している。
2)「悲恋」で有名な天下の美女 楊玉環(よう・ぎょくかん)=楊貴妃(よう・きひ)
教科書『世界の文明』(スターンズ著)では、唐玄宗の妃で人々から楊貴妃と呼ばれている楊玉環(よう・ぎょくかん)の名が上げられている。この教科書では2ページの紙面を割いて楊玉環の物語が語られ、彼女の華麗な家系や、しなやかで美しい姿を描写した「妃の肖像画」も一緒に掲載されている。 「唐の玄宗と楊貴妃の恋物語は素晴らしくもあり、また悲しい物語でもあった」と述べられ、アメリカ人が好む悲恋物語として特に取り上げられたと思われる。
3)中国・明末期の農民反乱の指導者・李自成(りじせい)
李自成(りじせい)は、「暴力で権力を奪い取り、古い政治形態を変えられなかった人物として歴史上の教訓となる」と描写されている。『地球に住む人々』というアメリカの教科書には、「李自成の農民反乱軍の成功はかなり短く、北京に入城してからわずか40日という短い天下であった。明朝の将軍呉三桂(ご・さんけい)は、李自成が文化的な価値観を全く持ち合わさず、暴力的傾向の強い人物で、共に国を治めて行くべきではないと判断し、満州族と連盟を結んだ。また呉三桂は、李が自分の愛妾を奪って行ったことに憤慨したのだとも言われている。それから1年後に李は死亡したが、死因は自殺か殺害されたのか不明である。農民の食糧を盗んで食べたため、農民から殺されたとも言われている」と紹介された。そして、李自成による農民の反乱が成功したとしても形式が変わるだけで本質は変わらず、国を治める形は変化しなかったであろうと結んでいる。
アメリカ人が最も関心を持つ歴史人物や事柄とは、決して誰が皇帝であるかという問題ではなく、社会形態や秩序を本質的に変えた人物、またそれらに関わった人物の物語に興味があるということなのだろう。
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