天安門事件21年 香港で15万人追悼の灯火 一年目と並び過去最高
【大紀元日本6月5日】天安門事件から21周年となる4日夜、香港のビクトリア公園で民主派団体主催の毎年恒例の追悼集会が開かれ、ろうそくの灯火の中、1989年6月に天安門広場で当局の弾圧で犠牲になった若者たちの冥福を祈った。主催側が発表した参加者数は15万人で、20周年目の昨年や事件一周年目の1990年と並び、過去最高だった。
主催団体の「香港支聯会」(香港市民愛国民主運動支援聯合会)関係者は追悼スピーチの中、今年の集会開催にあたって当局から今までになかった圧力を受けたが、香港の市民とともに香港の民主自由を守る戦いを最後まで貫いていくと表明。
今年の参加者の中に若い年代の人が多いのが、例年と違い特徴的。初めて参加した女子中学生の馬さんは、今回の活動参加は両親からも支持されており、89年当時20代だった両親は、事件後香港の150万人抗議パレードに参加したことがあったと話した。
例年、この集会の参加者数は数万人にとどまっていたが、昨年の20周年に続き今年も市民が高い関心を寄せたのは、背景に香港当局の高まりつつある圧力や、中国大陸で強まっている民主活動や言論の自由に対する規制への反発があるものと見られる。
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