<在日中国人の目>中国で光らないウインカーと日本で光る「ありがとうハザード」

【大紀元日本4月10日】中国に帰省した時には、子供はタクシーに乗るのが好きだ。「ジェットコースターみたい」とワクワクする彼を横目に、隣に座る私はドキドキハラハラ。タクシー運転手のドライビングテクニックが「無謀」と言えるほど高い。町の大通りや小道、少しの隙間も見落とさず、自由自在に車線変更し、颯爽と通り抜けて行く。

しかし、ちょっとお待ちを。車線変更する時にウインカーを出していないのではないか? 周りを見渡せば、確かにそのような車が多い。「ウインカーを出すと、逆に後ろの車が詰めてきて、いつまでたっても入れない」 とある運転手がその「極意」を話してくれた。もちろん、そうやって無理矢理割り込む車には後ろからの大きな「ブー」が待っている。

ルールも思いやりも感じない中国の運転事情。乱暴な運転に光らないウインカー。鳴り響くクラクションに窓越しの「ジャマ」な車への罵声。カーチェイスのようで、まるで戦場だ。実際、交通事故の現場に遭遇しない日はほとんどない。

最近の中国人には「余裕」がない。中国人自身もよく「浮噪(フーヅォ)」という言葉で自分たちを形容する。浮ついていて、騒々しい。心が落ち着かない意味である。それに対して、『広辞苑』に載っている中国語からの外来語に「マンマンデ」があり、中国人がよく使う言葉として「没問題」がある。前者は漢字で表すと「慢慢的」となり、ゆっくりとした様子を表し、「没問題」は問題ないという意味で、両者とも一昔前の中国人を代表する言葉である。つまり、昔の中国人はゆったりと大きく構えるのが特徴だった。

もちろん「慢慢的」も「没問題」もマイナスな面はある。しかし、それらの対極にある「浮噪」もまことに厄介だ。人が浮ついて落ち着かないと、他人への配慮が生まれない。社会が浮ついて落ち着かないと、目先の利益だけに目が奪われやすい。度々指摘される中国人のマナーの悪さ、粉ミルク問題や農薬問題、食品の安全問題などなどの社会問題の根底には、「浮噪」という心理が悪さをしているのではないか。そしてさらに「浮噪」という心理の背後には、伝統文化・伝統思想の破壊で生じた精神文化の欠如が潜んでいるのではないか。

異国の日本に戻るのがなぜかホッとする。空気がきれいな分、町中を走る車がきれい。隣の車線の車が車線変更のサインを出した。少しスピードを抑えて入れてあげたら、その車から「ありがとうハザード」が戻ってきた。日常の1コマに心が温かくなった。譲り合いや思いやり、他人を思う心は社会の潤滑剤であるかもしれない。いや、それ以上に血液であるかもしれない。