【大紀元日本3月1日】
幼稚園(1992~1994年) 誕生パーティー)(下)
手作り誕生パーティーで私が一番頑張ったのは、娘が4歳になった時で、幼稚園の友だちを8人くらい招いてのホームパーティーだった。
折り紙でいろいろな物を作り、買い物ごっご用のお店に並べ、お買い物をしてもらう予定だったが、すばしっこい男の子は列も作らず、どんどん欲しい物を手に入れようとする。混乱状態が起こった頃に、おまわりさんの仮面をかぶった夫が入って来て「逮捕するぞ〜」と脅かす。もうこのへんから盛り上がり始める。
童謡に合わせてのお遊戯とゲーム。これも、蜘蛛の歌に合わせて、蜘蛛のおもちゃを用意した。おやつの後は、子供用の靴下に目と鼻をつけて指人形にしたものをみんなにあげた。男の子は運動しなきゃね、と思い、細長い風船をたくさん用意して、みんなで叩きっこというのも用意しておいた。
かわいく遊んでくれるかなという意図は完全に裏切られ、みんな大声で好きなだけ金切り声で叫び始め、私の声などかき消されるしまつ。(日本人のお母さんは、とかく優し過ぎて、甘くみられるそうだ。英国に居住したことのある日本人の友人から後で聞いた。)混沌とした騒ぎの中、さて、あと20分のお迎えの時間まで、どうしたらいいかと考え、『クマのプーさん』のビデオを、目一杯の音量で流した。最初はテレビの音もかき消される騒音だったが、1人がビデオに気付き、しゃがみこんで見始める。するともう1人も見る。こうして、まもなくシーンとした家になった。お母さん達が迎えに来た時は、羊のようにおとなしい子供たちが、ビデオを楽しんでいた。
パーティーバッグとして、紙製のミルクパックにキラキラ光る紙を貼り、ハンドルをつけて、中に折り紙や手製のおもちゃなどを入れて渡した。
心身ともにくたくたになったパーティーだったが、「誕生パーティーがみんなアンの家でのパーティーみたいならいいのに」というフィードバッグが戻ってきた。しかし、これ以来、子供を招いてのホームパーティーはやめて、レストランの2階とかパブの2階の子供部屋を貸し切るなど、他のお母さんがしていることを見習うようにした。
(続く)
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