【神韻の足音】③ 「美」は「善」なり

【大紀元日本1月15日】「美」は、また「善」でもある。必ずといってよい。

逆もまた然り。善なるものを「美しい」と認識するのは、極めて正常な感覚と言える。

日本人にとって、富士山が美しいのは説明の要らない感覚であろうし、まもなく満開となる桜を好まない日本人は、おそらくいない。なぜか。

富士山も、桜の一輪も、その大小の差はあるが、本質的に「善」として太古の昔から存在するからである。その人工の及ばぬ美しさ、神々しさに、私たちは心打たれるのである。

一方、富士の裾野に粗大ゴミが放置され、花見の後がゴミの山になる現実がある。 

日本人は本来、もっと奥ゆかしく、所作の美しい国民であると信じたいのだが、現状はそうではないようだ。「不善は醜い」という、もう一つの真理を肝に銘じなければなるまい。

美しい神韻公演を見て、私たちが何かに気づけば、まだ再生への希望はある。

(大紀元時報2009年3月26日号より転載)

関連記事
恋煩いで半年も食べられなくなった女性。名医が見抜いたのは、体の病ではなく「考えすぎ」でした。心と胃腸をつなぐ中医学の知恵をご紹介
肌のくすみ、抜け毛、疲れやすさは「気血不足」のサインかもしれません。中医学の視点から、食事・睡眠・運動で内側の活力を整える方法を紹介します
森を歩いたり、緑を眺めたりすると、なぜか心が落ち着く――その感覚には、科学的な理由がありました。自然に触れることで脳のストレス回路や注意力に起こる変化とは?わずかな時間でも得られる意外な効果と、日常に取り入れる方法に迫ります。
ハーブは飾りではなく、栄養豊かな「食材」にもなります。ペルシャ料理に学ぶ、抗酸化物質とポリフェノールを毎日の食事で増やす工夫を紹介します
小さなランタナは、互いに争わず、それぞれの時に咲く。人と比べず、自分の色と出番を信じて生きることの美しさを見つめます