理性と平和の法輪功、中国当局4・25の陰謀は破綻
【大紀元日本4月25日】1999年4月25日、中国北京は世界の注目の的となった。この日、一万人を超える法輪功修煉者が北京府佑街の陳情局に訪れた。中国憲法を基づき、失った修煉環境を取り戻すことと、禁じられた法輪功書籍の再出版、警察の違法逮捕によって連行された修煉者の釈放が目的だった。この日より、法輪功は世界のステージに登場し、各国に伝えられた。三ヶ月後、当時の中国共産党総書記(党首)・江沢民が偽善の仮面を捨て、法輪功に対し残虐かつ人道に背く弾圧を開始した。そのときから一億人を超える法輪功修煉者は「反迫害」の道を歩み始めたのである。
現在は米国に在住する法輪功修煉者・呉伽理さん(Gary Wu)と周琳娜さん(Lina Zhou)夫妻は、この「4.25陳情」に参加した。夫妻によると、陳情に参加した法輪功修煉者はすべて、平和と理性を保ち、修煉者らしく善良と忍耐で事件を平和的に解決ように導いたという。また、江沢民氏がこの出来事を利用して武力弾圧の陰謀を企てていたが、修煉者らの努力により回避されたという。夫妻に当時の話を聞いた。
中国共産党の監視
周琳娜さんによると、99年4月25日までの二、三年間、法輪功は特に宣伝されることもなかったが、非常に速いスピードで中国全土に普及した。法輪功を修煉することにより、健康回復を遂げたり、ストレスから解放されたりした人々が、友人や親戚に法輪功を紹介したのである。周さんが煉功(法輪功の気功動作を練習すること)する場所に毎日二、三人のベースで人が増えていた。求める人が多いことから、法輪功創始者・李洪志氏の著書「転法輪」はいつも取り寄せられていた。
しかし、中国共産党は、絶大な人気を博する修煉者らの存在を恐れ、潰そうとしたのである。1996年6月、当局が管轄する新聞「光明日報」は、偽科学に反対する内容の文書を掲載し、その後、法輪功書籍の出版は全面的に禁じられた。
その後、国家安全部の警察が修煉者を装い、修煉者らに加わり、証拠を探った。しかし、法輪功の活動は非常に単純だった。煉功、「転法輪」を読み、健康を回復、良い人になるように努力する―これだけであり、公にできないことなどは何一つなかった。一部の警察はこの善良な人達に感動し、自ら任務を白状して、修煉者になった例は97年と98年に特に多かったという。
1999年4月11日、江沢民の一派で中央政法委員会副書記(当時)・羅幹の親族である何祚庥が天津で法輪功を誹謗・攻撃する文章を発表した。法輪功修煉者らは真相を伝えようとしたところ、警官に殴打され、45人も逮捕された。
「中南海包囲」は警察の陰謀
周琳娜さんによると、天津の警察は法輪功修煉者を殴打・逮捕した後、言いたいことがあれば公安部に行けばよい、地方では解決する権力はないから北京中央へ陳情に行けと言い放った。
「その時点では、法輪功修煉者らは中国共産党当局に期待していた。公正に解決してくれると信じていた。4月24日夜から、多くの法輪功修煉者は北京へ向かった」と周さんは説明し、「当時、修煉者の人数が多く、北京当地だけ数十万人もいた、情報を聞いたら、当地の修煉者も陳情局へ向かった」と当時の詳しい状況を話した。
周さんは4月25日午前5時に府佑街に到着した。法輪功修煉者らはすでに多く集まっていたが、警官も多かった。「あなた達が来ることをとっくに知っていた」という警官の発言は意味深かった。警察は修煉者を中南海正門両側の府佑街と文津街に誘導した。みんなに壁に沿って立たせた。まさしく「中南海を包囲」という形に、当局が意図的に誘導したわけである。
呉伽理は4月25日午後現場へ行った。現場で撮影している修煉者を見かけた。警察も撮影に気づき、追っていた。
呉さんの話によると、一晩に一万人を超えた修煉者が集まった。全国では法輪功修煉者の人数は一億を超えていた。全国から陳情のために人が来たら、あっという間に一万人を超える。確かに普通の団体なら考えられないことだ。江沢民がそれを恐れ、修煉者に「中南海包囲」の冤罪を着せようとした。しかし、事実は修煉者が警察の誘導に従い、中南海の周囲で待機していただけである。だれもが憲法で与えられた権利を行使しただけなのである。
平和的な姿勢と理性的な行動の法輪功、中国当局の陰謀は破綻
周琳娜さんは、当時修煉者の人数は多かったが、秩序があり整然としていたことを示した。修煉者の代表が中南海に入り、政府の代表と話している間、外で待っている修煉者達は静かに待機していた。壁に沿って歩道に立ったが、通行の邪魔にならないようにしていた。煉功したり、本を読んだり、話す人はほとんどいなく、静かだった。周辺のゴミや警官らが吸ったタバコの吸殻は修煉者らによりきれいに片付けられた。朝から昼にかけて、交通に影響を与えなかったにもかかわらず、午後から警察は道路を封鎖した。
当日午後、誹謗中傷の文章を発表した何祚庥が府佑街の西華門に現れ、30分ほどいた。しかし、法輪功修煉者らはそれに直面しても理性を保った。
周さんによると、昼間から警察が多かったが、緊急体勢に見えなかった。修煉者と雑談する警官もいた。夕方になると、警察の交替があって、武装警察のように見える警察が駆けつけたが、それらの警官はみな態度が悪かった。
当日午後9時ごろ、修煉者代表が出てきた。解決したことを示し、大筋をみんなに伝えた。そして、違法逮捕された修煉者も釈放されたことを知った修煉者らは、周辺を掃除し、その場を離れ始めた。
周さんは自宅が遠かったため、タクシーで帰宅した。午後10時10分に帰宅したが、それと同時に友人から電話が来た。友人の話によると。中国共産党がすでに武力弾圧を企てていたという。この日深夜12時に法輪功修煉者が撤退しなければ、銃殺されていただろうと周さんは確信した。中国共産党政権はすでに武力弾圧の陰謀を企てていたが、修煉者らは、平和的な姿勢と理性的な行動により、共産党の陰謀に打ち勝ったのである。