もう20年も前の話ですが、日本に来て間もない中国人留学生が初めてデパートに行ったときのことをこう話してくれました。「店員さんはみんなニコニコしていて、わざわざ売り場まで連れて行ってくれるし、ドアも開けてくれました。でも、親切を感じませんでした。」
当時の中国には、客に対するサービスという考え方はなかったので、日本のデパートの至れり尽くせりのサービスには驚いたようですが、「親切を感じなかった」とはどうしたことでしょうか。十分親切だと思うのですが。
話をよく聞いてみると、親近感がないと言いたかったようです。確かに、マニュアルどおりの上辺だけのサービスは親近感を感じさせません。
「親切」の「親」は本来「身近に接する」ということで、「切」は「刃物をぴったりと切り口に当てる」ということ。そこから、「思い入れが深く切実だ」という意味で使われるようになりました。それは日本語も同じで、日本語では「深切」という字が当てられることもあったことからも伺えます。
ところが、時が経つにつれ、両言語間で「親切」の意味に変化が生まれました。中国語では、人の振る舞いが「親しみがあり、心がこもっている」という意味で使われるようになったのに対して、日本語では、相手に対して「思いやりがあり、配慮が行き届いている」という意味で使われるようになりました。
ですから、中国語の『親切』は人が「感じる」ものなのに対して、日本語の「親切」は人に「施す」ものなのです。この違いが分かれば、当の中国人留学生にも「小さな親切、大きなお世話」の意味がすんなり理解できることでしょう。
(智)
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