離党届を出したと伝えられる華国鋒・元党主席、20日に死去
【大紀元日本8月23日】中国の華国鋒・元党主席が8月20日午後零時50分、病気のため北京で死去した。死因は伝えられていない。享年87歳。中国当局の官製メディア「新華社」が報じた。華元党主席は政権から退いた後、離党届を提出していたと伝えられた。
華元党主席は、1949年の中国共産党政権確立後、故毛沢東国家主席に「忠実な部下」として認められ、湖南省第一書記、副首相と地位を高めた。1976年、死去した周恩来・元首相の後任として首相に就任、故毛国家主席から後継者に指名され、1976年9月に共産党主席、軍のトップにも就任した。
後の政権内部の権力争いで故・_deng_小平氏に負け、1980年に首相を、翌年には党主席と軍のトップを退任、事実上政権から退いた。
関連記事
中共当局による突然の公演中止にもかかわらず、浜崎あゆみは無観客の上海会場でフルステージを完遂。毅然とした姿勢が中国内外で称賛を集め、政治的圧力を上回る“完勝”を果たした
三年もの間、民の課役をゆるし倹約を貫いた仁徳帝。民の竈の煙に安らぎを見いだしたその御心は、豊かさの本質を問い直す今の日本にも静かに響いている
中国で利益を得られるのは「一時的」。技術を奪われ、市場は最終的に中国企業のものになる。西側企業は今ようやく、この現実に気づき始めた
浜崎あゆみの上海公演が中共の意向で急遽中止。しかし彼女は観客なしで本番同様のライブを完遂し、世界から称賛を集めた。中共は虚偽説明で一時しのぎのごまかしを図るも、浜崎の冷静な対応が評価を高めた
中国共産党軍は日本を恫喝するも、その実態は装備・組織面で脆弱。日中が衝突すれば、中国側の実力不足が露わとなり、宣伝とは逆に軍の限界が明確にされる状況にある