ミャンマー:抗議デモの発端に、反中共の声
【大紀元日本9月28日】ミャンマー僧侶が主導した抗議デモは拡大しつつ、僧侶と民衆も参加したが、僧侶や日本人カメラマンを含む9人の犠牲者を出す最悪の事態に発展した。外国メディアの分析によると、10数万人の大規模な平和的抗議はミャンマー軍事政権にとってこの10年来の最も劇的な抗議活動であり、民衆がミャンマーの経済が中共(中国共産党政権)の影響を受け、搾取されているのを意識したことの現れであると指摘した。
UPI通信は、今回の大規模な抗議に経済的要素が指摘した。特に、ミャンマー政府は先月、石油の値段を5倍も上げた。托鉢で生活する僧侶にもこの問題は深刻であり、これまで5、6世帯で僧侶1人の供物を賄えたが、現在は20世帯も必要だからだ。
抗議活動の発端に、反中共の声
抗議活動の兆しは以前からあった。最初の兆しは今年2月で、中共が国連安全保障理事会でミャンマー軍事政権を制裁する決議案を否決した後のことである。いわゆる「青年僧侶連盟(Young Monks Union)」と名乗る団体はミャンマーのインド国境に近接するアラカン州で宣伝チラシを配り始めた。中共の否決に抗議した上、中国製品を排斥することを求めた。この地域には、豊かな石油と天然ガスがある。
また、別の抗議チラシには、ミャンマーの石油と天然ガス開発で中共はミャンマーを搾取していると抗議する内容があった。中共は現地の住民を雇わず、中国から労働者を供給し、不満を募らせた地元農民らは、中共所有の天然ガス会社の事務所を攻撃したという。
ミャンマー・アラカン州の主要都市シットウェ(Sittwe)で、中国雲南省に直通する新しい港が中国資本で建設が進んでいる。この港は将来、海軍基地としても使用できるように開発を進めており、鉄道と道路は勿論、石油輸送管も整えおり、石油と天然ガスを中国に輸送できる。この港は、従来のシンガポール・マラッカ海峡を通らず、石油輸送船はペルシャ湾からシットウェに直航できる。 そのため、この地域は、ミャンマー軍事政権を抗議する焦点なのである。
シットウェで先週、ミャンマー軍事政権に対する抗議活動があった。現場の警察官は、デモの僧侶に武力弾圧という上層部の命令を拒絶した。最後に軍事政権は軍隊に出して催涙弾を使用して、威嚇発砲してデモ隊を追い払った。
インドの時事研究センター( Institute For Topical Studies)主任インド政府内閣官吏ラマン氏(B. Raman)は今年8月19日、南部ミャンマーと中部ミャンマー地域では弾圧される学生と僧侶の抗議デモは軍事政権だけに反対しているのではなく、中国共産党にも反対していると指摘した。大量の中国人エンジニアと労働者を駐在させている石油と天然ガス開発地区では、このデモ活動が多くの民衆の支持を獲得している。
中共はアフリカでも類似する問題に起こしている。中共は、スーダンで多額の石油投資をしたが、スーダンの人権保護に注力せず、国際社会の強烈な反発を引き起こした。中央アフリカ地区の投資は更に広範囲な強烈な反対を招いた。特に、ザンビアで,野党の愛国前線は昨年、ザンビア選挙で、中共に反対する政治綱領を宣言した。
ミャンマーにおける中共勢力の存在は、更に複雑な事情がある。それは中共がシットウェで開発しているベンガル湾海軍基地である この基地に対してインド側は懸念を抱いている。中共がインド西側のパキスタンで建設したグワダール港(Gwadar )海軍基地と同様に、インド国防の不安材料となっている。
今度の僧侶、尼僧が参加する抗議の重要性の一つはこのデモが、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏との連合に発展したことを挙げられる。ミャンマー軍事政権は、僧侶と市民や学生、アウン・サン・スー・チー氏が団結した抗議活動に直面し、日に日に高める愛国主義と反中国共産党の感情が絡み合い、その上石油価格の高騰によりもたらされた苦しい経済状況で、ミャンマー軍事政権は窮地に追い込まれた。
ミャンマーは1962年から軍事政権によって支配され、独裁者のネ・ウイン氏が1988年に民主運動で退陣し、軍事政権は1990年に総選挙を行ったが、国民の支持を得たアウン・サン・スー・チー氏に権力を渡すことを拒絶した。過去18年で、同氏が自宅に軟禁されたのは通算で約12年になる。
かつて東南アジアでは最も豊かな国家ミャンマーは今や、国民の平均年収は200ドルの世界で最も貧しい国の1つである。政府はここ数年、経済を開放し、近隣の中国、インドとタイが狙っている大量の石油と天然ガス貯蔵区の採掘権が、軍事政権の支えとなっている。