民が官を訴える話
【大紀元日本9月24日】NHKのテレビ番組「激流中国」を視聴した。何でも貴州省の地方都市における地上げ問題を中心にした都市再開発にまつわるドギュメンタリーである。県当局が突然土地使用権の撤回を通告し開発業者が取り壊しを始め、住民が団結して県当局を提訴し、一審では敗れたものの上級裁判所に控訴し差し戻しの判決を得たところで終わっていた。地上げの問題は中国のみならずバブル期の日本でよく見られた現象であり、さして珍しい話ではないが中国の地方都市で住民が団結して当局を訴追するのは中国では矢張り目新しい話のようだ。北京の弁護士事務所に相談したり、住民が集まって議論したりしながら訴訟の準備が進められる一方で、警察や司法当局が地方自治体の要路の官吏と結託したり迎合するのはむしろ住民にとっては常識でもあるのか一審で敗れた段階で、原告の代表者と思しき人が「敗訴は予想通りであり上級裁判所に期待する」と述べた言葉が印象的であった。程度の差こそあれ警察が関与し原告が知人宅に避難しながら戦う姿には和偕社会という言葉とは全く異なる実態を痛感させられた。一審の判決で原告の訴状を却下する理由を瞥見して,中国は以前と本質的には変わっていないなと実感した次第である。
どこの国でも訴訟は高くつくものだ。民が官を訴追する場合でも例外ではない。訴訟費用を捻出するのは庶民にとって大変な負担である。訴訟が公害のレベルとさえ言われる米国でも辣腕の弁護士を使い黒を白とするケースも少なくない。本邦とて似たようなものだ。まして民が官を訴追するには大変な苦労が伴う。問題は、それを承知で庶民が県当局を訴つたえるほど理不尽な問題だったのだろう。
些か私事にわたるが、80年代始めの筆者がまだ現役のころ今は巨大企業集団となった当時の国務院直轄企業に最初の円建融資交渉のため、初めて中国の第一線の弁護士つまり律士達と契約書類の交渉をしたことがある。今でも鮮明に記憶しているが、用語の解釈から定義に至るまで文字通り丁々発止の交渉であった。中でも一番記憶に残るのが「互恵平等の原則に立って」という文言である。漢字で書かれているだけに直ぐにも合意出来そうな文言ではあるが意味するところは率直なところ「中国に一方的に有利」と理解すれば意味が通じるような趣旨であり、さりとて不平等な契約を認めるわけにもいかず、交渉を重ね各条項で貸し手の言い分といっても国際商慣習に沿った正論を通し調印に漕ぎ着けたが、改めて一衣帯水とか同文同種と言う認識とは似ても似つかぬ考え方の違いに慄然とした記憶がある。勿論、あれから30年近く経ち,中国でも弁護士が縦横に活躍する時代になったのではあろうが、流石に上級審でこそ正論が通じたようであるが、初級審では法律や契約書文言の解釈にも当局の我田引水や融通無碍とでもいうか一方的解釈や恣意が幅を利かす悪弊は以前とあまり変わってはいないらしい。