ファンタジー:個人タクシー「金遁雲」の冒険独白(3)
私は同業者の間でも、風体が少し変わっているので有名だ。まず、中国の山中洞穴で座り込んだので、精気が凝り、全身が濃いウブ毛で覆われているし、骨相も変化して眉間の間の部分が隆起して猿居士のような変わった人相であるばかりか、玉帝がはめ込んだ金の輪が頭にはめられているので、車をよく停める外苑で、年配の同業者によくこういってひやかされる。
「おい、中国の・・・おめぇさんの制服は変わっているなぁ・・・なんでまた、喪服みてぇに上下真っ黒なんだ?誰か、親戚の人でもなくなったのかい?」「いえ・・黒は、中国では高貴な色なのでして、いわば道とか玄とかを表し・・」「ふ~ん・・・また、バッジが変わってるねぇ・・金遁雲交通・・・これ中国系の外資かい?」「いえ。個人で営業しています」「じゃ、その頭のワッパは何でぃ?」「いや、これは一種の磁気ネックレスのようなもので・・」「どうせ、中国製だろ?日本製の方がいいぞ、当たりはずれがなくて・・どうだ、いい業者紹介しようか?」・・・外苑での休憩時は、毎日がこんな罪もない、とりとめもないやりとりの連続だが、忌憚のないところがいいところだ。
私が渋谷の都営バス乗り場付近を流していると、またぞろ顔色が真っ青な若い女性が乗り込んできた。後部座席に座ったが、生きている人間の気配がしない。眼がうつろで、意識と焦点が定まっていない。「青山まで・・」というので、車を反転させ向かうことにした。しかし、どうしてこう陰気な人間は、やはり陰気な場所を好むのだろうか?以前、青山墓地の地下世界には行ってきたので、もう違和感がないのだが、今回は事情が違うようだ。
「どうして、このタクシーは青ばかりなのですか?」実は、現実には赤信号で留まっているのだが、金遁雲号の車内は、時間が自由自在に圧縮できるので、待ち時間の際には短縮効果を掛けているのだ。こういった特殊な空間なので、問題のある客人が思いもかけない告白をすることがある。「実は、私・・鸚鵡返し教の信者なんです・・それで、師匠の亜尊から寵愛を受けたくて・・・彼の子供が欲しいんです・・」眼に精気がないのを認めた私は、「いやぁ、早まったことはしない方がいいですよ・・・」と諌めつつ意気投合したが、早くも私の霊筋肉には功力が充填されてきているのを覚えた。
大道の本場中国でも、中世の時分に天才的修道者であった済佛さんが、金持ちの道楽を相手にして「千叩万叩」を指導して、腰を絞り上げた挙句に高い授業料をセシメテ、庶民に施す故事があったが、どうもこの亜尊という輩、大した修行もせずに大言壮語して、大して金持ちでもない一般庶民を騙し、挙句には婦女子の貞操まで狙うとはまったくケシカラン!言語道断!・・・などと、とりとめもないことを考えているうちに、車は女の指示で青山の根津美術館界隈に位置する瀟洒なビルの前で留まった。
女と車を降り、ビルの入り口まで来た。玄関には、左右に金の鸚鵡がツガイでしつらえてあり、「亜尊・鸚鵡返し教東京青山本部」の表看板、女が指紋認証の後にインターホンで応答する。「すみません・・・一般会員の中島ですが・・」「なんですか!最近、めっきり修行セミナーに来てませんね!夏季セミナーの案内は郵送しましたよ!それに何ですか?その傍らの猿みたいな人は?」「あ・・私の中国の友人ですけど・・」「新規入会者ですね・・結構」・・随分と図々しい物言いだが、その分、非情になれるので却って都合がいい。
中に入ると、広い三十畳ほどの大道場では、世界でも文化的程度の高いはずの成人した日本人たちが、「亜尊教祖は素晴らしい・・亜尊教祖は素晴らしい・・・」と鸚鵡のように何度も唱えている・・いや、何かの脅迫観念に後押しされて言わされているようだ。師範代なる三十代の青年が「これは、鸚鵡返し教の極意ともいうべきもので、ひたすら教祖を奉ることにより道に溶け込んでいくもので・・」出鱈目な説明を聞き流していると、「では、中島さん聖水をいただきましょう・・これは宇宙のカミさまのご加護がいただける有難い・・」と言って、奇妙に濁った液体を中島さんに勧めるので、私は間髪を入れず「飲むな!それには、教祖の小水と麻薬が入っている!」と制した。
師範代が「何の根拠があってそんなことを言うのか?」というので、問答無用と玉帝の武器である如意棒を渾身の功力を込めて脳天に打ち下ろした。これは、向こうの空間で一瞬の内に行われるので、肉眼では何のことやら全く解らないが、出るわ出るわ蛆虫やら色情ムカデやらの類が、霊脳から溢れんばかりにワンサカでてきた。こちらの空間では、私に怒鳴られた師範代が色を失って呆然と立ち尽くしているだけのように見える。脳の手術を受けた患者のように一言の言葉もない状態のようだ。すでに、霊的な頭が正常に戻りつつある。これで、霊界医師に切開手術をしてもらえれば、完全に元に戻るのだが、悪行で徳が枯渇しているのでそれも適わないだろう・・・これが精一杯だ。
「おい!教祖の亜尊はどこにいる!」私が尋問すると、「・・・はい・・あの色狂いの狸じじいは・・・富士山の麓で、女性信者の綺麗所を見繕っては・・・私的なハーレムをつくり・・・金づるにして手篭めにして・・・」ふん、解った!私は、振り向きざまに亜尊の特大ポスターを認めると、如意棒でその心臓を一突きした。すると、出るわ出るわ、無数のゴキブリが這い出てきては、悪臭をあたりに発し、悪霊の師団やら、邪神の連隊やらが、悪態をつきながら列をなして窓から出て行くのが見えた・・・そして、最後にきれいな魂が出てきて、信者たちに戻っていくのが見えた。
道場の練習生や傍らの中島さんに顔色と生気が蘇るのが手に取るように解る。「どうですか?中島さん・・・気分の方は・・・」「あら、わたし・・どうしてたのかしら?」「中島さん、邪教に捕まっていましたよ・・危ないところでしたよ・・」中島さんは亜尊のポスターを認めると「いやだわ私、こんな不潔そうな中年親父に・・・」「そうです!街頭に出れば、もっと素敵で健康的な日本人男性がいくらでもいるじゃありませんか・・」ふと傍らを見ると、くだんの師範代が、失禁し脱糞し、口からは涎を流し、眼からは涙を流し、鼻からは鼻水を出して、まだ呆然と立ち尽くしていた「・・・ああ・・・ああ・・・・ああ」、可愛そうに悪行の限りの片棒を担いだために徳を魑魅魍魎どもに食われ、元神が破産してしまったようだ。これでは、世界銀行が徳を融資してももはや駄目だろう。折角、一度は如意棒の一撃で頭が正常になりかけたのに、「因果応報」宇宙の法則は非情だ・・・
しばらくして、富士山の大道場にも警視庁の捜査の手が入り、教祖が逮捕されたとのニュースを外苑近くの柳麺屋で見た。「おい、中国のエテコウの・・最近、半年ばかり見てなかったが、どこに行ってたんだ?」「いや、ちょっと長距離がカサミマシテ・・」「また、中国人の観光客相手かい?なんとも羨ましいねぇ!俺も、五十過ぎてるけど、これからでも中国語遅くないかね?・・それにしても、その頭の磁気ネックレス、二十四時間はめっ放しのようだけど、それじゃ却って健康に良くないや、一日二時間位でいいんだけど・・・」どうもこの国の国民は正直で勤勉なところがいいところのようだ。憎むべきは、邪教の輩だ。悪は必ず滅びる。