【漫画(MANGA)往来】オンリーワン『諸星大二郎』③

【大紀元日本3月22日】
「案山子と稗田礼二郎」の素顔

妖怪ハンターの主人公につながると思しい稗田阿礼は、耳や目にしたもの全てを忘れずに記憶する事ができた。それだけではなく、一字一句を間違えずに思い出す能力を持っていた。古代人はなべて記憶の人である。その中でも格別に優れた記憶能力を受け継いだのが、稗田の姓を名乗る者達であった。古代の巫女の資質を受け継いだ人達であったという。

古代において姓は重要な意味をもっている。姓は血統の正しさを証明するものであり、血という物質を通じて日本の古代のシャーマン達は、シャーマンの優れた資質を秘儀によって子孫に伝授する事ができた。阿礼のシャーマンの血が滾々(こんこん)と、礼二郎の中にも流れ込んでいることは間違いない。妖怪の実在を感知する資質を、すでに受け継いでいたのだった。

主人公・稗田礼二郎は、K大の新進の考古学教授として注目を浴びた。しかし古墳についての新説を発表して、日本考古学会を追放された。えたいの知れないもの(妖怪)が人間の支配する世界に住んでいる証拠を、古墳考古学の論文として発表してしまったからである。礼二郎が唱えたシャーマニズムに直結する心魂考古学は、現代の物証考古学からは異端として断罪される他はなかった。

山田の案山子が一本足で立っている。日本の田舎の風景に、それは良く似合うものだった。害鳥や荒(す)さぶる物の怪から田んぼを守るために、案山子は立っている。顔は「へのへのもへじ」と描かれて、何だかふざけた出所不明の神様だ。名前から言えば「山から田んぼ」へ降りて来た、山の神様ということになる。問題は案山子が一本足で立っていることだ。

昔むかし大国主が出雲の浜辺で寛いで、これからの日本の国づくりを思案していた。すると海の向こうから小さな神が、羅摩(かがみ)の舟に乗ってやってきた。この神の名前を周りの者に尋ねても,誰も知るものはなかった。傍にいたヒキガエルが、久延毘古(くえびこ)なら知っているかもしれないと進言した。久延毘古は歩くことはできないが、世の中のことを全て知っている神だった。さっそく久延毘古に尋ねると、小さい神は「少彦名命(すくなひこなのみこと)」である事が判明した。

久延毘古は山田のそほど(案山子の古名)とも言われる神である。旅をせずとも居ながらに世界に生起する物語を、一字一句まで過たず事実に即して語る事のできる神なのだ。案山子が一本足で不動のまま動かず、田んぼの風に吹かれて自然の荒さぶる情報を管轄してくれているからこそ、稲の実りを私たちにもたらす事ができるのだ。山田の案山子も稗田阿礼も礼二郎も、一つながりに久延毘古という神様の末裔なのである。

日本の田畑風景が消されて跡地に近代工場が建ち並んだ。空き地のゴミ箱の片隅に追いやられた「えたいの知れないもの」が、死滅してどこかへと去って行ったかに見える。一本足の案山子が田を降りて、日本の原風景の痕跡に息づいていた妖怪探究の旅に出かけたのだ。妖怪の実在を誰にも納得するように、考古学的に実証することは出来ない。礼二郎にも諸星大二郎にも、それは十二分に分かっている。「妖怪ハンター」を紐解く読者に、心魂的に実証できる可能性が残されているにしても・・・。