天国からの音楽:バッハ「ミサ曲 ロ短調」
【大紀元日本7月15日】今年のシンガポール芸術祭では、フィリップ・ヘレヴェッヘが率いる合唱団「コレギウム・ヴォカーレ・ゲント」が招聘され、6月14日夜、エスプラナード劇場のコンサートホールで、J・S・バッハの「ミサ曲 ロ短調」が上演された。
この声楽の大作は、神聖で高潔なものが天から降ってきたかのように聴衆を感動させるもので、ベルギーのコレギウム・ヴォカーレ・ゲントの優れた上演に、聴衆は惜しみない拍手をいつまでも送り続けた。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(以下「バッハ」)はドイツの作曲家で、バロック音楽の代表的な人物であり、後世の音楽に多大な影響を与えた。バッハはまた敬虔なキリスト教徒でもあり、宗教音楽の研究に力を注いだ。彼が作曲した「ミサ曲 ロ短調」、「マタイ受難曲」などはとても有名である。彼はその生涯の最後の27年間、聖トーマス教会に勤め、教会所属の少年合唱団の指導に当たった。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(演奏会主催者提供)
「ミサ曲 ロ短調」はバッハの晩年の絶頂期に作曲された、2時間にも及ぶ、独唱、重唱、合唱そして管弦楽からなる作品である。曲の構成は複雑で、技巧も円熟し、しかも曲調が多様に変化しており、バッハの音楽の集大成と見られている。奥深い内容で、肉体に精神が宿ったかのようであり、管弦楽も荘厳で、歌曲は純潔で神聖、そして敬虔な心情が溢れており、まさに宗教音楽の最高峰である。
コレギウム・ヴォカーレ・ゲントは演奏の全てにおいて、この作品の真髄を十分把握していた。独唱と合唱の対比は強烈で、一度聴けば何度もため息がでるほどであり、回想すればいつまでも余韻に浸ることができる演奏であった。
澄んだ、柔らかな、美しい歌声はまるではるかに遠い天国から来た音、飛翔の韻律、天使の翼、詩や夢のような心地。・・・空を漂う間も、天と地の間で交わされる歌はリラックスできる。神の啓示をもたらし、暖かい憐憫に満ちた、善良で純粋そして美しさをもたらすのである。
ソプラノ歌手ヨハネッテ・ゾマー(マルコ・ボルグレーベ撮影、演奏会主催者提供)
第一部の「主よ、我らを憐れみたまえ」は敬虔な祈祷である。神への信仰、神を感じ取り、そして神に呼応する、人の純朴な行為である。
印象深いのは田園風景を表現する場面である。春風や小川のせせらぎ、羊たちが牧草を食む様子を思い起こさせる、穏やかで清らかなフルートの演奏。そして、テノール歌手のユリウス・プファイファーの澄んだ歌声が静かで純粋な美を歌っていた。
テノール歌手ユリウス・プファイファー(演奏会主催者提供)
後半部の合唱は時に喜ばしく軽快に、時に力強く荘重にと、叙述詩の気魄を感じさせ、神への賛美、光へ向かうさまに満ち溢れている。最後のトランペットが神聖で荘厳な彩りを加え、天国から来た音を聴いているようである。バイオリン、オーボエそしてホルンが加わってますます勇壮な雰囲気となったところではじまる神を賛美する合唱は、神の光があまねく照らす中、仲むつまじく生きる大地の衆生のすばらしい光景のようである。入神の境地に達しており、心から感動させられる。
指揮者フィリップ・ヘレヴェッヘ(エリック・ララヤデュー撮影、演奏会主催者提供)
ソロの飄逸で変化に富んだ優美さと、合唱の荘重かつ重厚な力との呼応が入り混じって輝くことで、さらに聴衆の心の奥深くに浸透し、神の導きによって衆生が善に向かい堅実に歩む姿を際立たせている。
バッハの時代には、人々はとても敬虔で、神を信仰し、宗教的雰囲気が濃厚であった。バッハはきっと神への感化と啓示を受けた芸術の聖者であったに違いない。さもなければこのような天国から来た偉大な音楽を作ることができなかったであろう。
歌声に完全に溶け込むことで、聴衆の心にはいろいろな気持ちが湧き出し、更に高く遠い天に昇り、喜びに満ちて、自然に涙が溢れ出る。
天使の歌声が頭の中をめぐって離れない、不思議な雰囲気。おごり高ぶることもなく、あるのはただ崇高、荘厳でしかも純粋に柔らかで美しく、均衡の取れた、広大かつ深遠な精神世界、霊魂の浄化と昇華のみであった。
騒々しい世の中に暮らしている人々には、このようなすばらしい天国の音は、清水で洗われるように新鮮に感じられることであろう。