中国経済の現状と展望 その五

【大紀元日本2月21日】程暁農:1985年、中国人民大学大学院修士課程経済学研究科修了後、中国全人代常務委員会弁公庁研究室を経て、経済体制改革研究所に勤務、経済体制改革研究所主任、副研究員を歴任、前趙紫陽首相が主導した改革における中枢の一人として活躍。1989年の天安門事件後、ドイツ経済研究所、プリンストン大学客員研究員を経て、同大学において社会学博士を取得。《当代中国研究》の編集責任者。

中国経済は発展していくと共に様々な問題が現れてきた。これらの問題を検証していくと、単なる経済問題ということではなく、政治問題社会問題でもあるということが分かる。個人的な見方としては、89年の天安門事件によって、中国の政治と経済政策が大きく変わったと考えている。そこで、80年代と90年代における経済政策を対比してみたい。

調和的な社会から権力と財閥の集団への転換

中共政権成立以来「文革」をはじめ、多くの政治運動を起し、人民に悲惨な体験をもたらしてきたが、政権存続の危機が高まってきたということにより、国民の信頼と支持を取り戻そうと、改革開放政策を試みることとなった。

改革開放政策の下、経済発展に伴い、市場経済に必要とされる自由や民主的な社会環境が、求められるようになった。その象徴的なものが、89年の学生らによる民主運動である。89年の民主運動は、社会全体へと広がっていったが、決して中共政権にとって望ましいことではなかった。民衆の声があまりにも強かったため、中共政権は共産党ならではの解決手段、つまり武力によって制圧を行った。

天安門事件後、中共政権は社会全体の利益を向上させることは、自らの既得利益を失うことになるということを意識するようになった。そして、政権の維持をより強固にするために、自らの権力集団内において、権力と財閥集団を拡大する、という政治戦略へと転換をした。

その転換政策の下、共産党の官僚らが職権を利用して、商売をすることが合法となった。このような政策により、政治的色合いの濃い集団が急成長し、経済利益の社会的配分は酷く歪んでしまった。80年代までは、経済政策は社会各集団の利益を出来るだけ考慮したものであったが、現在は一部権力者層の利益を優先するというものになってしまった。

胡躍邦や趙紫陽時代には、都市部と農村部の発展のバランスを重視しながら、農村部の経済的発展にメスに入れた。当時8億人の農村人口を考慮し、農業発展に貢献し、農業資源を最大限に利用し、多様化した経済発展モデルを研究するという政策機関が、国務院で設立された。その結果、80年代の中国の農村部の経済発展は効率よく、著しい発展を遂げたと同時に、多くの経済学者も現れ、中国経済発展の基盤が築かれた。

89年の学生運動は、今までの経済改革開放を本格的に市場経済へと移行させる国民の要望でもあった。天安門事件後、経済政策機関の有識者らは、学生の味方と見なされ、多くの人がそのポストから追い出された。農村政策の研究機関も撤廃され、農業省だけが残されたが、人材は不足、権限は限られた。中共政権は農村部の経済発展に対し、無策であり、農村部への福祉等は放棄された。政策は大きく歪んでしまった。

経済政策の変化:都市のみを重視する

02年、北京大学社会学部の孫立平教授の研究によると、2000年に入ってから、中国の都市と農村の間には、大きな「格差」があるとされた。2000年に入ってからは、都市の経済発展は農村地域とほぼ無関係にあり、国家の財源は都市部へと投入され、見せかけの経済を作っている。一方では、農村部は破綻寸前にあり、常に貧困状態にあり、都市と農村間の経済格差が驚異的なスピードで拡大していくことが分かった。

孫立平教授は、北京の例を挙げ、次のように説明した。「北京の西長安街は金融街とも言われ、とても近代的な町だが、西に10キロほど離れた石景山区には、70年代の重工業地帯の様子がほぼそのまま残っている。さらに西へ50キロ行くと、一気に農村地帯へと変わり、その姿は数十年前と何ら変わりのないものである。北京でさえも50キロ圏内で、これほどの差があるのである。内陸部における格差は想像を越えるものがあろう」。

都市と農村の間の経済格差の本質的な要因は、現行の制度によるものといえる。中共政権は90年代、農村の信用組合、農業銀行の資金を沿岸地域の都市開発、不動産、株式投機へと政策的に誘導した。マクロ政策の問題と市場経済に必要な法的整備が欠如していたため、腐敗、横領が多発した。その結果、農業銀行、農業信用組合の資金は底をつき、90年代半ば、中国農業関係の金融機関が相次いで倒産するという事態を招いた。このような状況下、中共政権は農業銀行をはじめとして、農村関係の金融機関をすべて撤廃、市町向けの金融機関へと変貌させた。「農業銀行」という名称だけは残したものの、農業とは無縁のものとなってしまった。

その結果、農業と農村部の発展に必要な資金調達の道が断たれてしまったのである。農民らは資金調達に困ると、個人の金融業者を頼り、資金に余裕が出来ると、各町村の郵便貯金へと預け入れる。しかし、中国の郵便貯金は融資、貸付業務を行わない。90年代後半以降、中国の経済発展は都市開発を中心とし、農民の利益を無視する一方、農民が受け入れられる限界まで搾取を繰り返している。このような制度の下では、経済格差の修復はどうしようもないものである。

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