文革「四人組」:姚文元病死、中共慎重対応

【大紀元日本1月9日】20世紀60年代中国で発生した文化大革命(以下、文革)を主導した「四人組」で唯一の生存者・姚文元氏が、2005年12月23日に糖尿病で死去した。半月が経った今年1月6日、中共当局は新華社に対して姚氏の死去を初めて発表したが、姚氏の一生の事績に触れておらず、死去報道の遅延についての説明もなかった。今年は文革開始40周年となり、中共側は民衆を刺激しないように文革の話題には触れず、姚氏の死去報道を控えめにしたようだ。

四人組は歴史へと消えた

大陸の消息筋によれば、姚氏は享年74歳。1976年に最高人民裁判所に12年の有期懲役を言い渡され、5年間の政治権利を剥奪された。姚氏は1996年に釈放後、上海に短期間滞在したのち、江蘇省昆山市へ転居。姚氏は常に厳密な監視および行動制限を受けていたという。姚氏は数十万字を越える回想録を作成したといわれているが、中共当局は彼に対して回想録の出版を禁止した。回想録の一部の内容は海外に報道されているが、全体像はわからないという。専門家は、姚氏の回想録は、文革および現代中国の研究に貴重な価値があるという。

姚氏は代々読書人である家柄に生まれ、父・姚蓬子氏も著名な作家および翻訳家だった。若い頃の姚文元氏は天才ぶりを発揮し、上海では有名な文学青年だった。しかし、姚氏の文章はほとんど政治論評が中心で、投機的な部分が非常に大きかったという。1955年、姚氏が崇拝していた著名文学者・胡風氏が毛沢東に批判されると、直ちに上海「文芸月刊」に「胡風はマルクス主義を歪曲した3つの手段」と題した文章を発表した。さらに1957年、上海「文匯報」に「教条主義および原則――姚雪垠氏との対談」を発表し、毛沢東に認められた。

姚氏は1965年に江青、張春橋らの示唆により、上海「文匯報」で「新編歴史劇(『海瑞免官』)を評す」の長編文章を発表し、北京市副市長および明の歴史専門家・呉カン氏が共同で作った新編京劇を批判し、論文の海瑞(ハイ・ルイ)氏について、当時毛沢東に批判された彭徳懐のことを暗に指し、文革の序幕となった。呉氏はのち自殺した。歴史学者・翦伯賛氏は呉氏の無実を訴えたが、迫害され死亡した。姚氏はその後、四人組の戦いに道連れにされ、中国政治の渦中に巻き込まれた。

姚氏は文革時期においては大局を左右する人物だったうえ、政治界においてもとんとん拍子に出世した。姚氏は上海市委第二書記、中央政治局委員を務め、70年代より中共のイデオロギーを主管していた。当時の姚氏は毛沢東、林彪、周恩来および_deng_小平の闘争においての太鼓持ちだった。

毛沢東が1976年に死去してから、「四人組」は失脚し逮捕された。1991年5月14日、江青は北京公安委員で首吊り自殺し、王洪文は1992年に肝臓がんで亡くなった。57歳だった。参謀役である張春橋は死刑から数度に渡る減刑で18年の有期懲役になったが、2005年4月21日にがんで亡くなった。姚氏は20年の有期懲役を服役終了後、平淡な生活を送っていた。

文革時代の故・姚文元氏

文革話題、依然として厳重統制

文革が終結してから今日まで30年が経とうとしているが、中共はいまだに強制的に情報統制しようとしている。四人組が失脚してから、「凡是派(すべて派)※」の華国鋒が政権を執った。毛沢東は否定されるどころか、ひざまずいて額づき続けたため、当時は文革の真の終結はできなかった。その後、_deng_小平が真理の討論を謳い、「実践が真理を検証する唯一の基準である」と主張し、1978年末に、「すべて派」を覆し政権を執った。

しかし、それでも_deng_小平は毛沢東を徹底的に否定することはできず、毛沢東に対して7割の功績と3割の過失だと評価した。現在の大陸は改革開放の時期に突入していても、文化大革命の真相および究明は依然として厳しく統制されている。

大陸の文人・巴金氏は文革時期でひどく迫害を受けた後に、中共に対して「文革博物館」の建設を求めたが、実現できなかった。巴氏が昨年死去してから、各界における巴金氏記念活動の中で、彼の遺志を継ぎ、中共に対して再び「文革博物館」の建設を求めた人もいた。しかし、この望みは恐らく近いうちには実現できないであろう。

中共は文革および天安門事件を人々の記憶から消そうとあらゆる宣伝を行っている。大陸では四人組および姚文元氏に対する認識度はほとんどゼロに近く、姚氏の死去にも興味を示さない。

外部の分析によれば、中共が文革に直面することを恐れている原因とは、毛沢東が文革時期に担った役割および歴史における功績、過失の処理問題は一因に過ぎず、一旦、文革が中共の本性の表れであり、中共が中華民族、中華大地にいかなる災禍をもたらし、人々の道徳、人性、伝統などすべてにおいていかに破壊したかが明らかになったとき、全中国人が反省したのちの選択をもっとも恐れている重要問題としていると示唆した。

※凡是派(すべて):文化大革命直後に、毛沢東の決めた政策をすべて支持し、毛沢東の指示したことはすべて遵守すべきだと主張したグループ。

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