程暁農:経済成長率は中国官員が出世するための指標
【大紀元日本10月5日】政府の数字によると、中国経済は毎年8%の高成長率で20年近く成長してきた。中国政府は、こうした華やかな実績によって人民を鼓舞し、また、無数の外資を導入してきた。しかし、この数字は信用できるのだろうか?米国・当代中国研究センター執行局副主席程暁農によると、中国における経済成長の数字は政治化している。なぜなら、中国官員の昇進の指標がまさに経済成長率だからである。
程暁農によると、メディアが見ることのできる経済指標は、政府によって繰り返しフィルタリングされたものであり、経済学者が見ることのできる数字は、メディアによってさらにフィルタリングされたものである。中国の華やかな数字の背後には、人が知りえない秘密が数多く隠されており、その手がかりは、内容を仔細に解きほぐし、推敲を繰り返して初めて見抜くことができる。
程暁農は、9月29日に台北・華泰大飯店で記者の取材を受けた際、以上のように述べた。
中国の経済指標は政治的宣伝の道具
程暁農によると、中国大陸における政府の経済指標は、皆政治の産物であり、政治的宣伝の道具に成り下がっており、参考とすべき価値はない。
その理由として、毛沢東の死後、ますます多くの人が共産主義を信じず、また共産党の執政の合法性を疑うようになった。執政を継続するためには、人民を教育することでしか共産党は経済を繁栄させることはできない。このため、共産党は、上から下までが数字を粉飾し、繁栄の仮象を作り出した。
彼によると、中共中央政治局だけが真の経済指標を入手できるという。しかし、あまりにひどい数字を対外的に公表することによって、反対の声が上がり、共産党の失脚を招くおそれがある。このため、中央は全国の統計局に粉飾を命じるのである。統計局官員の昇進の鍵となるのは、専門能力ではなく、報告を書く技巧である、と彼は強調する。同じ理屈で、各省・県・市の主管官員は、中央の官員に気に入られるため、統計部門に対して必要な数字を作り出すことを求めるのである。
失業率を例にとると、彼の分析によると、2002年以後の数字は既に20%を超えており、かつ年を追って悪化している。しかし、政府の発表している数字は永遠に3%~4%である。また、国家統計局が発表している全国の銀行のバランスシートについても、1993年の負債は数百億、1994年のそれは千億に上昇したが、1995年に負債の項目が取り消され、調べることができなくなった。
外資・民間企業も粉飾
さらに恐ろしいことに、一部の外資企業も郷に入って郷に従い、粉飾のゲームを始めてしまった。彼によると、世界的に有名な欧州のあるグループのCEOが記者に明らかにしたこととして、このグループの中国大陸における事業体の60%が損失を出している。しかし、欧州における株価を維持し、投資家のチャイナ・ドリームを実現するため、中国の事業が儲かっていると投資家を騙し続け、株価を高値に維持せざるを得ないという。
このグループはまた、欧州の株式市場で儲けたお金を用い、中国における事業の損失を補填している。このように、産業・ファイナンスを相互運用することによってやはり儲かってはいるが、損をするのは欧州の投資家である。
中国大陸における上場企業の株式の多くは、開始時の業績は見映えが良いが、3~4年経つとすぐに損失を出す。中国大陸においては、多くの会計事務所が企業と共謀し、財務諸表を偽造して上場させている。大陸人はこうした手法を「包装上市(パッケージ上場)」と呼んでおり、中国大陸では非常に普遍的な現象となっている。
中共高官の「跳船(船から飛び降りる)現象」
また、中国大陸の腐敗官僚が資金を海外に持ち逃げする状況は非常に深刻であり、中国の金融体系において不良債権が減少しない原因の一つである。米国のサンフランシスコ、ロサンゼルス一帯では、こうした腐敗官僚が大金で購入した名車・豪邸を随所に見ることができる。彼が住んでいるニュージャージー州においてさえもこうした腐敗官僚の足跡が見られるという。
程暁農は、タイタニック号の「跳船現象」になぞらえ、次のように語っている:船上の高級幹部は、船が氷山に衝突したことを知っており、船長が船倉の大広間に乗客を集め、美しい音楽を演奏し、楽しい気分を作り出している。その一方で、一部の船員は、乗客の荷物や貴重品をまとめて救命ボートに詰め込み、脱出していく。
現在、こうした跳船現象は部長クラスの官員から処長クラスの官員へと拡散しており、米国の移民制限は比較的厳しくなっている。聞くところによると、スイスでは、10万人を超える大陸からの留学生が、当地でホテル管理を学んでおり、こうした処長クラスの官員が、あらゆる悪辣な手段を用いて移民を求めていることを示している。
上から下までが粉飾を行う背後で、最終的に損をするのは、民衆と一般の投資家である。程暁農は最後にこう語った。