中国共産党の暴力団手法を暴露、何偉途氏が168日間の体験を語る
何偉途氏は「買春」を否認した上、事件は政治的な迫害であり、中共が香港の立法会選挙を操作していると指摘
【大紀元2月4日】(香港=大紀元記者・呉雪報道)香港民主党議員立候補の何偉途氏は去年8月、香港立法会選挙期間中、公務で中国東莞市に滞在した際、ホテルで現地公安に連行され、その後、中共に「買春」と指摘され、直ちに東莞市大朗強制労働収容所へ送られ、5ヶ月半の強制収容の後、香港に戻った。何偉途氏は公開の場で「買春」を否認し、この事件は再び香港を震撼させた。同事件で中共はテロの手段で香港人を恐喝し、民主党を攻撃し、暴力団的な恐怖の手段で香港の立法会選挙を操作している疑いがかけられている。
昨年、香港立法会選挙期間中、アメリカ人権組織「ヒューマン・ウォッチ」が2004年9月9日に公表した“愛国主義問題についての報告”で「北京政府は著名評論家の黄毓民、鄭経翰と李鵬飛を恫喝し、立法会議員劉慧卿と梁耀忠の議員事務所の名誉を毀損し、その上、九龍東議員立候補の何偉途氏を拘束するなどの一連の「暴力恫喝」行動によって、立法会選挙直前、香港の政治への干渉を強め、民主派の選挙運動に打撃を与えている」と指摘した。
一連の事件で「香港の政治が侵害され」かつ「返還後最悪の恐怖状態に陥り」、市民の表現の自由が侵された。
大陸で買春の容疑で強制収容処分された民主党区議員の何偉途氏は3日、入院先の聖マリア病院で、公の場で始めて、事件の経緯を説明した。九龍順天選挙区からの住民と女性団体代表ら約20人が花束などを持ち、現場に駆けつけて応援した。同氏は買春を否認し、無実の罪を着せられたと主張し、圧力をかけられ十数通の「懺悔書」に署名させられたと話した。同氏は議員職を辞めないものの、民主党を脱退すると強調した。一時間の記者会見でずっと側に同伴していた何偉途氏の妻は、強く旦那さんの手を握って、信頼と支持を示し、夫を100パーセント信じると表明した。
【香港立法局選挙直前、民主党議員候補何偉途氏が中共当局に拘束され、04年8月7日、何の妻が記者会見を開き、健康を理由に中共公安に釈放を求めた。前列左2番目から何氏の妻、息子、妹(大紀元)】
*何偉途氏:「私は買春なんてしていません」
同氏は買春をやったことがなく、いかなる女性とも性的行為を行ったことがなく、もちろん一切の金銭による性の取引もしたことがないと再三に声明した。拘束された当日の夜、彼は友人とカラオケに行き、夜11時にホテルに戻り、早朝午前3時まで休んでいた。その時、面識のある女性がノックしてきて、彼はこの女性が用事があると思い、女性を部屋に入れた。その後、同4時ごろ公安が部屋に入り込み、彼を拘束した。
女性が部屋に入ってからの様子を聞かれた時、同氏はいかなる性的行為もしておらず、買春をしていないと強調し、公安は雑談をして、話の内容は重要ではなかったので、はっきり覚えてはいないと話した。
公安が彼を拘束した後に公開した上半身裸の写真及びホテル内のコンドームの写真について、同氏は、コンドームは自分の物ではなく、その女性も服を着ていたと指摘した。
拘束後、公安が電話の使用を禁止し、弁護士への依頼も禁止し、弁護士がいないままに自白を強要し、さらに二日に一回「懺悔書」と「賛美書」を書かされたと同氏は話した。
一個人の力では全く大陸の公安当局と対抗できないので、今回の会見後、東莞市公安がどこかの女性を見つけたり、あるいは他の証拠を示したりしても反論しないと同氏が話した。
*事件は政治的迫害の疑いがある
今回の収容処分が、自身の民主党員身分と関係があるのではと聞かれた時に、同氏は正面から答えず、事件について「人によって見方が違います」が、「みな分かっています」と話した。また収容中、ある警官から「今まで香港やマカオで買春したもの者で、一ヶ月以上収容されたケースを見たことがないので、どうしてあなたが半年も収容処分をされたのか不思議です」と言われたことがあるとした。
同氏の話によると、収容中に民主党を含め、だれも彼を助けることができなかったと言う。160日間で、一通の民主党員からの慰問手紙しかもらったことがなく、そのなかに民主党党員兼支連合会主席の司徒華氏のサインがあったことで連日にわたり尋問を受けた。
他の収容された者は、面会に来た人と監視なしで食堂で料理を注文して食事をすることができるのに、何偉途はそれが許されなかった。妻と面会する時、収容所長や副所長などがそばでずっと見張り、更に女性警官が夫婦のすべての談話内容を記録していた。夫婦の面会は30分に限定されていた。
*肝硬変で肝臓の機能が20パーセントに
同氏の話によると、東莞市収容所に拘束された168日間は人生の中でもっとも暗黒で辛い日々だったという。収容前にはまだ健康だった体が、収容後、非常に悪くなった。病院で彼は既に肝硬変症にかかり、肝臓の機能が20パーセントしか残っておらず、長期に薬を取らなければならないと診断された。しかも、全身に乾癬が広がり、永久に直せない可能性があると医者に言われた。
同氏は服をたくしあげ、体中にある乾癬を見せた。腹部から胸部、そして背部にまで斑が広がっている。本人は皮膚病にかかったことに対し非常に恥を覚え、今後もスイミングに行けないと話した。
同氏は元々B型肝炎を患っており、収容中に適当な医療措置を施されなかったという。香港保安局の調整で、本人の奥さんがB型肝炎治療用の薬物を本人に差し入れる許可を取ったが、最初に収容所当局は薬物の服用を禁止し、三ヶ月半後ようやく服用を許した。
同氏は昨年11月から体中に赤い斑が現れ、最初何十点しかなかったが、同年12月23日に家族らが面会に行った時、収容所が初めて医師を用意した。しかし、3回の薬物注射を受けたら、赤い斑が逆に全身に広がってしまった。
同氏はある香港マスコミの報道が事実無根だと指摘し、自分が収容所で優待されていなかったと話した。彼は収容所内でずっと監視を受け、更に今年1月24日激しい胃痛で入院したときでも、両足に重さ20キロの鉄製の鎖を付けられた。その後、一生懸命に懇願してやっと外された。収容後最初の10日間は他の人と同じ待遇だったが、その後4人の犯人と数名の警官に24時間監視され、寝るときさえ誰かベッドの端に座って見張っていた。
*釈放が遅延された
同氏の記者会見での説明によると、中共当局は期限を繰り上げて釈放したのではなく、逆に延長したという。元々、収容所に2つの奨励制度がある。1つは、もし親友が1500元の食事代を支払うことができれば、10日間繰り上げて釈放される。もう一つは、収容所で仕事をし、収入がもらえないが、点数が計上される。100点計上されたら、収容期が1日減免される。同氏は釈放される前に既に1500点が計上されており、本来15日間も減免されるべきだったという。
同氏の話によると、彼は8月13日に拘束され、今年の2月13日が満期日だが、本来の25日間の減免が適用されたら、今年1月19日に釈放されるはずだったが、1月28日にやっと釈放された。
何偉途氏は去年の香港立法会選挙前、公務で中国東莞市に滞在中、「買春」の容疑で公安に連行され、半年近くの強制収容を経て、今年1月28日に釈放された。香港に戻ってから九龍のある病院でずっと治療を受けている。