梅の季節に味わう「塩梅」の話
梅の季節になると、台所に小さな忙しさが戻ってきます。梅干しを漬ける人なら、洗って、へたを取り、塩を量って、重しをのせる。あとは梅が黙って仕事をしてくれる……と言いたいところですが、こちらはつい容器を覗きに行きます。塩が強すぎないか、梅が負けていないか。まだ味見もできないのに、頭の中ではもう「加減」を探しています。
「いい塩梅」という言葉が、そんな手つきにぴたりと寄り添います。塩梅(あんばい)は、物事のちょうどよい具合、加減、バランスを指す言葉です。料理の味加減から始まり、体の調子、予定の調整、仕事の進み具合まで、いまではずいぶん広く使われます。読み方は「あんばい」が一般的ですが、もとは「えんばい」と読まれていた、とされます。
語源は文字どおり「塩」と「梅」です。酢が当たり前になる前、味の輪郭を決めるのは塩味と酸味でした。梅を漬ければ梅酢が上がり、それが酸の役を果たす。塩と梅酢の配合が少し違うだけで、全体の印象が変わってしまう。その微妙な調整を、そのまま「塩梅」と呼んだ――そう説明されてきました。梅干しがうまくいくかどうかは、派手な材料ではなく、結局のところこの加減にかかっています。梅仕事が毎年同じようでいて同じにならないのは、そのせいです。
面白いのは、この台所の言葉が、古い文章の中でずいぶん大きな比喩として扱われていることです。梅干しでも、塩が立てば尖り、梅が勝てば締まりすぎる。どちらも間違いではないのに、全体が落ち着かない。いちばん難しいのは、強いもの同士をぶつけず、ほどよく収めることです。
古い時代の文章は、その「ほどよく収める」感覚を、国を治める話へ広げました。異なる者を同じにしてしまうのではなく、違いを抱えたまま全体を破綻させない。台所の塩梅が、いつのまにか天下の塩梅になっていった、というわけです。その発想を端的に言い表す言葉が、和羹塩梅です。
『書経』には、殷の武丁が傅説という賢者を登用する場面が記されています。傅説は奴隷として道を築いていた人物でした。武丁がその才を見つけたのは、夢の中です。夢で天から賢人を示され、その姿をもとに四方を探させ、ついに傅説を得た――そう伝えられています。武丁は自分の判断ではなく、天の示しに従って動いた。
武丁が傅説にかけた言葉として伝わるのが、次の一句です。
「若作和羹、爾惟塩梅」
もし私が和羹――さまざまな具を入れて煮る汁物を作るなら、お前は塩梅になれ、という言い方です。塩も梅も単体では強い。使い方を誤れば、全体を台無しにします。ところが、加減が合うと具の持ち味を消さずに、まとまりだけを作る。武丁が傅説に託したのは、まさにその働きでした。具の違いを消すのではなく、違いを抱えたまま和する。和羹塩梅は、調味の話でありながら、名臣の在り方を語る比喩として残っていきます。武丁は王であり、傅説は奴隷でした。それでも、天に向かう姿勢において、二人の間に隔たりはなかった。
さて、ここまで塩梅という言葉の奥行きを辿ってきましたが、最後は話を梅干しに戻しましょう。なにせ、塩と梅が語源なのですから。梅を漬ける手つきは、毎年同じようでいて、同じになりません。だからこそ、加減を見る。台所の塩梅が古典の塩梅へ広がっていったとしても、出発点は「ほどよく収める」という感覚です。梅の季節にこの言葉を思い出すのは、案外自然なことかもしれません。